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イエメンのモカでコーヒーが発見された?
コーヒーの起源は、エチオピアからイエメンにもたらされて、そこから世界に広がって行ったようです。エチオピアの山羊飼いのカルディが、山羊がコーヒーの実を食って狂ったように踊りだしたのを見て発見したという話は置いておき、13世紀にイエメンに、シェイク・オマールという祈禱師がおり、当時モカという場所で疫病がはやっていたそうです。モカの王女も病気にかかってしまい、オマールが得意の祈祷でなおしてあげたとか。ところがその娘に恋をしてしまい、怒った王様は、彼を山の中に追放しました。おなかをすかせたオマールは、飢え死にする寸前で、美しい羽根を持った小鳥が木に止まり、陽気にさえずるのを見ました。そこには赤い実がついていたので、口にしたら、苦かったものの、煎じて飲んだところたちまち力がみなぎって元気になりました。その噂は町まで届き、オマールは再び町に戻されて、コーヒーを使って人々の病気を治すようになったとか。福島の赤ベコ伝説にもなんかつながるような気が個人で気にはしております。
その後、コーヒーは、イスラム教のスーフィー(神秘主義)の修行者の間で好まれて飲まれたようです。覚醒するので一晩中コーランが読めるというわけです。眠っちゃいけないと禅宗の僧侶が木魚をたたくのにも似てますね。そしてイエメンでコーヒー栽培が始まり、イエメンのモカ港から積み出される豆はヨーロッパ、そして世界に広まっていったのです。豆の種類として有名なアラビカ種は、イエメンが原産です。
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このコーヒーの覚醒作用、たびたびイスラムでは、お酒と同様に禁止すべきであると考えるイスラム指導者もおり、「禁止する!」と言って火の中にコーヒーの果実を投げ入れたら誠に香ばしい香りが漂い、さらにコーヒーが広がっていくことに!
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モカ・マタリというコーヒーは、まさにこのイエメンのモカ港から積み出されるコーヒーのことです。
有名な曲、コーヒールンバの、「むかし、アラブのえらいお坊さんが、」というのは、シェイク・オマールのことで、モカ・マタリという名前も出てきますね。
モカ港の歴史ですが
15世紀に珈琲豆の積出が始ます。
16世紀にはオスマン帝国に征服され、紅海を通行する船舶にモカで納税を義務図けたためにさらに栄えます。珈琲の取引にイエメンのユダヤ人400人ほどが携わっていたそうです。
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18世紀にはペストが大流行し人口の半分を失うことに。19世紀前半まで、イギリス・オランダ・フランスはモカに工場を持ち、珈琲等の輸出を行った。
1839年、イギリスがアデンを征服すると、モカの港湾機能はアデンに取って代わられます。
1881年から84年にかけてフランスの天才詩人のアルチュール・ランボーがアデンでコーヒー豆を扱うバルデ商会で働き、エチオピアのハラルを行ったり来たりしていました。
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イエメンには、今では大きなコーヒー商社が二つあるそうですが、イギリスの植民地時代に創業したようですね。
今のモカ港はこんな感じだそう。行ってみたくなりました。
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