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パレスチナのウクライナ人

 ロシアがウクライナに侵攻し、あっという間に戦争が始まってしまった。毎日、ウクライナからのニュースが入ってくる。気が重くなる。
「国際法に違反して、戦争をするプーチンは許せない」世界各地でプーチンを批難する人達。
 ウクライナがNATOに入るとなるとさすがにロシアもビビるだろう。バイデンは暢気にも「ウクライナにはNATOに入る自由がある」といった。北朝鮮が、アメリカと同盟を結ぶとなると我々は危機感を持つし、阻止したいと思うだろう。なんかバイデン大統領の発言は、自分の人気取りのためか浅はかに聞こえる。もう少しこの段階でアメリカが間に入れなかったのか?
 で、プーチンは、アメリカの無能ぶりを脇目に、シリアでの覇権を取り、うまくやってきたのに、こういうやり方ではすべてを失うように見えて、ロシアにとってもいい結果には向かわない。なにか、狂ってしまったようにも見えるのだ。ヨーロッパもガンガン武器をウクライナに流し込んでいるだけでは、事態は悪化するばかり。ウクライナも義勇兵を世界に呼びかけたりするのではなくて、交渉のテーブルを作ることこそが大事だ。むやみやたらの武器支援は、内戦になったらもっとたちが悪い。尤も武器さえ売れればいいと思っている国が多くて、国際社会は本当に和平のことなど考えていないっていうのをシリアで思い知ったのだ。そういうのがちらちら見えると何を言っても平和は遠く、血の海とがれきの山で稼ぎまくる人っ体がいるかと思うと悲しいしい空しいし、戦争は終わらない。だから気が滅入るのだ。


旧ソ連に留学するアラブ人たち

 ウクライナのことはほとんど知らない。しかし、中東で暮らしていたら意外とウクライナに縁のある人に会う。アラブはソ連の影響が強く留学と言えばソ連。私がイラク戦争のときにヨルダンでお世話になった女医さんはヨルダン人から留学に来ていた男性と結婚したウクライナ人だった。家に行くとお酒を出してくれて、ボルシチを作ってくれてキエフの話をしてくれたのを思い出す。2003年はイラク戦争に反対しながら、イラク難民の診療に奔走していたのを思い出す。
 そういえば、パレスチナにいたときに、ナザレ出身の歌手、リム・バンナのことを思い出した。リム・バンナは難民にならずナザレにとどまったパレスチナ人で、イスラエル国籍を持つ歌手だが、モスクワの高等音楽院に留学していた時に、ウクライナ出身のギタリストのレオニード・アレクシェンコと結婚し、バンドを組んでいた。1999年、彼女がラマッラーの幼稚園かなんかに歌いに来て、たまたま通りかかった私は、すごい声がきれいでいいなあと思い、話しかけた。
 当時の私はJVCという団体で、パレスチナの子どもたちの平和プロジェクトをやっていて、音楽プロディ―サーの真似事のようなこともしていた。ジャズピアニストの河野康弘氏に頼んで日本からピアノを寄付してもらったりしたのだが、彼がエルサレムに来てくれるというので国連にもスポンサーになってもらってコンサートを企画していた。町で売っていたカセット・テープを買ってみる。子ども向けの曲が大半だったが、JAZZバンドにも合わせられると思った。

パレスチナの歌姫、ウクライナのギター、オーストラリアのサックス、アメリカ人のドラマー、ユダヤ人のベース、日本のピアノが加わった



 ナザレまで行き出演交渉した。当時は、オスロ合意でイスラエルとパレスチナが共存して平和へ向かうこと”ユダヤ人とパレスチナ人が一緒に歌う”ことが是とされていた。
そういうイベントで稼ごうとしている人たちと、”ひねくれて、”そういうのを毛嫌いする、例えばオスロプロセスそのものに反対するハマースのようなグループに分かれていたのだ。僕はどちらかというと前者で平和イベントをもりあげたいという気持ちもあったが難民の子どもたちの話を聞くと微妙だ。思い切って「今まで、ユダヤ人と一緒にうたったことがありますか」と聞いたら、「ちょうど、スイスのダボスというところで経済フォーラムがあり、NOAというユダヤ人と一緒に歌ったわ」
「イマジンという曲で、私がアラビア語で一番、彼女がヘブライ語で2番、最後は二人で英語で歌ったわ」という話をしてくれた。
「イ、イマジン?ジョンレノンの?」僕は思わず口ずさんで、「これですか?」と尋ねた。
「歌い終えたとき、パレスチナの人達も駆けつけてくれて、私はパレスチナのために歌う意味を感じたの」
鳥肌が立った。
「でも、今は、そういう歌を歌う時期じゃないわ」という。
NOAというアーティストは、イエメンにルーツを持つユダヤ人で、左派と言われている。1995年、ラビン首相と一緒に平和集会のステージで歌っていた。
わたしは、なんとなくその時の映像を見たことがありラビンがとてもへたくそな歌を歌詞カードをみながら歌っていた。直後ラビンは射殺されたのだ。
シリアでラビン暗殺のニュースを聞いたときに、「ああ、和平はどうなるんだろう」と同僚のパレスチナ難民に聞いたら、「テロリストが死んだだけさ」と言って笑っていたのが印象的だった。難民の帰還は和平が進もうが見通しはなく置き去りにされるしかなかったのだ。
NOAの記事はこちら⇩


ハイファの風
 あの人にハイファの海の風をあげて下さい
独房にいるあの人に、ジャファの風をあげてください。
なぜならば、独房の中はあまりにも、寒くて、暑い
彼を一人にしないで。独房の中はあまりにも寂しいから

「私は、政治的な歌を歌います。マフムード・ダルウィーシやタウィーク・ズィヤードの詩や私の母も詩人で、彼女の詩に歌をつけたりして歌っています。そしてもう一つは、パレスチナのフォルクローレ。若い人たちは知らない。パレスチナ人としてそういった歌を歌うことにミッションを感じているんです」

 

リム・バンナのカセット

コンサートは、当時国連ボランティアでサックスを教えていたグラント(オーストラリア人)に頼んで、アメリカ人のドラム、ベースはユダヤ人、ウクライナ人のレオニード、日本人の河野氏と多国籍なセッションになった。
いつの日か、リムとノアのイマジンが聞きたい。そんな日が来ればいいなあと思った。

リハ
リハ

JVCが20周年記念に出版したNGOの時代にリムのことを書いた。
http://teambeko.html.xdomain.jp/team_beko/NGOJVC.pdf

第二次インティファーダー

しかし、2000年、イスラエルとパレスチナの紛争が再燃し、2002年には私もイスラエルに入国拒否され、もうかかわることができなくなてしまった。同時にイラク戦争がはじまろうとしていたのである。

2002 年にナザレで録音されたアルバム「エルサレムよ永遠に」は、紛争に巻き込まれて殺された子ども達にささげられている。

このアルバムの中では Soft rain in faraway Autumn がポップな仕上がりで私のお気に入り。レオニードがアコーディオンを弾いていてウクライナぽい感じも。

ガザでイスラエル軍とパレスチナ警察の板挟みになった親子。父親は、息子をかばって「やめてくれ」と手ぶりで助けを求めるも、銃撃され、ムハンマッド少年が息絶えた。映像は世界に配信され、パレスチナの子どもたちはムハンマド君の絵をよく書いていた。

リムも「子どもが死んだ」という曲を書いた
 モハンマッドは小さな男の子
彼の最後の夢は,銃弾がキラキラした輝きを彼の目から奪い取ることではなかったはず。
ムハンマドの夢は、故郷で自由になること。
でも彼の夢は、彼を守らなかった。
夢は、血しぶきとともにはじけ、同時にすべて終わってしまった。
スナイパーが狙いすましたときに。

子どもは死んだ。
良心がはじけた叫び
子どもは死んだ。
声は喉で凍てついた。
 
涙が私の目からあふれ
静かに精神が落ち着いて、あなたの目は眠るけど
わたしの目は眠れない。
彼は時間をとめれなかった。彼の血は壁に書かれる。
「夢は生き残り、あなたの目を明け続けて!」
土地は、生きた石に守られ、土地は月桂樹で区切られ、
土地は、甘い、バジルの葉と花で覆われ、子どもたちはこの土地で遊ぶ。

イラク戦争がやってきた

 耐えられなかった。子どもたちが殺されていく。911もあって、パレスチナ=テロというレッテルを張られてしまった。パレスチナ人達はイラクのサダム・フセイン大統領を愛し、デモなどで写真を掲げていたからなおさら国際社会は彼らにマイナスのイメージを抱いていた。イスラエル政府の高官は、「テロとの戦いは、蚊を殺すことを考えろ」と豪語し、ボウフラから始末することを豪語していたのだ。
妊婦さんもイスラエル軍の検問を超えることができず、車の中で出産したり流産するケースが相次いだ。

イスラルの「人権のための医師団」と一緒にイスラエル軍が封鎖した地域で軍と交渉してモバイルクリニックを行った。

ちょうどリムが、妊娠していたこともあり、娘に頼んで絵を描いてもらい、イスラエル軍が病気や、妊婦には特別に配慮するように訴えた。

病院に行かせてほしいとチェックポイントで懇願する妊婦

そのころリリースされたのが、「悪の枢軸からの子守歌」

イラク、イラン、アフガニスタン、シリア、北朝鮮、パレスチナに、ニナ・ハーゲン、リッキーリージョーンズなどが加わりそれぞれの国の子守歌をデュエットするというブッシュ大統領に挑戦状をたたきつけた秀作。

リムの死 


それは突然やってきた。
2002年、ヨルダンからアレンビー橋を超えてパレスチナに戻ろうとしたが、イスラエルの入国審査官は、だめだという。「ダメなものはダメ。さあ、帰りなさい」といわれ、同じタクシーでヨルダンまで戻された。難民になってしまったのだ。アパートも借りっぱなし、荷物も置きっぱなし、銀行の貯金もそのままだ。これが難民の現状だ。ただ、僕はパレスチナ人と違って、忘れてしまえばいい。イラク戦争が始まってパレスチナのことを忘れるのはちょうどよかった。
気が付くと20年たっていた。昨年から大学で中東の一般を教えることになり、いろいろ当時のことを振り返りながらおさらいをしている。ウクライナのことがあり、そういえばリムたちはどうしているんだろうと思い検索してみたのだ。

なんだか、おかしい。ナザレで3人の子どもと暮らしたって過去形になっている。レオニードはどうしたんだろう。離婚したのか。で、あ?
2018年に亡くなっている。2009年から乳がんと闘っていたらしい。彼女が亡くなってからリリースされたアルバムが、Voice of Resistanceだ。

PVを見てびっくりした。かつてのような美しい声はない。彼女が真摯に死と向き合っている。

https://www.youtube.com/watch?v=AlIReQOdI_w&list=RDAlIReQOdI_w&index=2

最後のMaryamという曲のPVは、放射線治療をしている彼女が映し出されている。もう死という世界に向かう自分をここまでクリエイティブに諦観できるのは一体どこから出てくるエネルギーなんだろう。


パ・レ・ス・チ・ナ!彼女がしょい込んだもの。なんと表現していいのかまだ気持ちの整理がつかない。
失われた20年に追いつくので一杯一杯になってしまった。
リムとノアの歌うイマジンを聞いてみたかった。
ウクライナのことを調べていたのにパレスチナのことが悲しくなってきた。

以下、アマゾンで購入できるアルバムを紹介

2006年リリース

2005 年リリース、パレスチナの囚人のためにささげられた

2004年ブッシュに向けての挑戦状。「悪の枢軸からの子守歌」

1994年パットメセニーのプロデュース。NOAはイエメン系ユダヤ人

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