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イラクの彫刻家の歴史

華原真奈というChalChalチャルチャル劇場にたびたび現れる謎の高校生がいます。音楽紙芝居、ギルガメシュでは大活躍しますが、アリババにも登場しています。

大元をたどれば、バグダッドに輝くカハラマーナ像をモチーフに作られたキャラクターです。カハラマーナ像バグダッドの中心に飾られ噴水になっています。
 アリババと40人の盗賊に登場する女奴隷の少女は、モルジアーナとなっていて、機転を利かせて盗賊からアリババを助けます。
ところがイラク人は、モルジアーナのことをカハラマーナと呼んでいます。

バグダッドの中心(筆者撮影)

カハラマーナの話は、少しアリババと40人の盗賊とは異なっているようです。
カハラマーナは勇敢で聡明な少女でした。彼女の父は、旅人が休憩する宿を運営していました。父はまた、毎日午前中に市場で油を詰めるかめをたくさん載せる台車も所有していました。ある夜、少女カハラマーナは何かの音が聞こえて眠りから目覚め、空のかめの中に一団の見知らぬ人が隠れているのを見ました。彼らは、泥棒を捕まえようとこの一帯を包囲している警察の様子を調べるためにかめから出てきました。そこで彼女は急いで父親にこのことを伝えに行き、泥棒が頭を隠すまで黙っていることにしました。その時、カハラマーナは急いで鍋に熱い油を入れ、それを瓶に注ぎました。彼女が作業を終えようとしたとき、泥棒たちは叫びながら起き上がり、警察は彼らを逮捕することができました。
こちらの記事も参考になります。
https://indroyc.com/2017/08/31/kahramana-statue-baghdad/

 この銅像を作ったのは、ムハンマド・ガニ・ヒクマットという彫刻家。
彼は、1929年バグダッドで生まれました。4歳のころからチグリス川の粘土で人形などを作っていたのですぐその才能を認められたといいます。バグダッドの美術大学を卒業するとローマに留学します。当時イラクは王国でしたが、1958年、クーデータで国王は暗殺され、彼が帰国した1961年、イラクは共和国になっていたのです。
 彼の帰国後の大仕事は、師匠である彫刻家ジャワド・サリムの助手として、バグダッドのタハリール広場自由の記念碑建設プロジェクトに携わったことでしたが、師匠が急死したため、ムハンマド・ガニ・ヒクマットの手で完成させることになりました。

革命広場2023年
wikipediaより

「私はおそらく、祖国を愛したシュメール人バビロニア人アッシリア人、あるいはアッバース朝の彫刻家の魂のコピーなのでしょう。」と語るガニさんは、1970年代には、千夜一夜物語をモチーフにしたものを多く作っています。その一つが前述したカハラマーナの像です。
イラン・イラク戦争では、断水し噴水は干からびてしまったために、かめの中から盗賊が出てくるのではないかと話題になりました。イラク戦争では、アメリカこそが盗賊だとし、この広場は抵抗運動のシンボリックな場所にもなりました。

 音楽劇+デジタル紙芝居を作ろうという話になったとき、参考にしたのは、以下の本でしたが、やはりバグダッドに長くかかわった人間としては、真っ先に思い描いたのはカハラマーナの銅像です。戦争直前の2002年に銅像の近くの安宿に泊まっていたことがありました。
町でビールを買って宿に戻ろうとしたら、黒のビニール袋が破れてビールが落ちて割ってしまったことがありました。隣を通りかかった子どもが、僕のほうを見て馬鹿にしたような笑いをなげかけて、そして本当に臭いという顔をしていました。その時はとても恥ずかしかったものです。そしてイラク戦争がはじまると、「アリババ」という言葉が流行していました。
米軍がバグダッドを制圧すると、無政府状態になり、掠奪が横行しました。バグダッドの人たちは、掠奪グループのことをなぜか「アリババ」と呼んでおり、僕たちも「アリババ」はとんでもない奴だと思い込んでいました。
ヨルダンからバグダッドに到着すると、挨拶代わりに「アリババに遭ったかい?」と聞くようになりました。陸路でヨルダンからバグダッドを抜ける街道には頻繁に盗賊集団が現れ車を止めては金銭を盗んでいたのです。
ある日、イラク人がヨルダンにやってきたので、逆に僕は聞きました。
「アリババに遭わなかったかい?」するとそのイラク人は、怒り出し、「何を言っているのだ。アリババは盗賊をやっつけた正義の味方だ」
といいます。そういえば、そうだなあ。しかし改めて読んでみたら、泥棒が盗んだものを盗むアリババは、もっと悪い奴。女奴隷のモルジアーナに至っては、40人の盗賊を皆殺しにしてしまうという殺人まで犯しています。ツボに隠れている盗賊の手下を殺したのは正当防衛とも言えますが、招待した盗賊の頭をナイフで一突きで殺してしまったのは、情状酌量の余地はあるのか?裁判にかけられたら有罪になるのではないか気になるところです。
この物語は、善人と悪人の区別があいまいで、最初からアリババ側から見た正義を貫き通すこともできます。ただし、盗んだお金を善行に使うとかの処理が必要ですが。盗賊たちがあまりにも不条理に、残酷に殺されてしまうと、モルジアーナこそを出世のためには手段を択ばない極悪非道の女として描くこともできます。物語の展開が勧善懲悪的にわかりやすくも、え?もしかしてアリババってどうなのよ?と思わすあたりが非常にうまく作られている古典の名著でもある所以で、現在社会にも共通普遍的な要素がたくさんちりばめてあります。例えばアメリカのイラク占領の愚行や、イスラム国の残酷さ、最近特に顕著な資本主義社会のなどです。
つまりアリババは、現代の話にも置き換えやすいのです。
そこで、最後のシーンは、モルジアーナが、自由と勇気のシンボルとして銅像が建てられたとし、今でも人類は愚かな盗みあいを続けていること、それは大規模な大量殺戮という近代的な戦争というやり方、それに抗う子どもたちの姿を描きました。

ChalChal音楽デジタル紙芝居「アリババと40人の盗賊」より、モルジアナが盗賊たちをやっつけるシーン
時は流れて、モルジアナ(カハラマーナ像)の前で2003年はまさに米軍が盗賊のように押し掛けた。ここでは、イラクの子どもたちが、戦争反対を訴えています。もともとこのえは、2002年サダムフセインの大統領信任投票のために子どもたちが描いた絵の一部を切り取って使いました。バックのモスクの絵もバグダッドのフセイン君がイラク戦争直後にプレゼントしてくれたものです。

以下のような小説もあるようです。

「カーラマナの遺言 」
作家フセイン・アル・カファジ

この小説はイラクのバグダッド市を舞台に、現実とファンタジーを融合させた革新的なアイデアで描かれ、バグダッドの記念碑であるカハラマーナが蘇り、生き返り、自分が住む地下の隠された世界を発見します。その後、彼女は地上で任務を与えられ、バグダッド市に融合して住み、下界と上界を行き来しながら一連の冒険を繰り広げます。
(google 翻訳)
ムハンマド・ガニ・ヒクマットさんは、2011年に亡くなっています。
83歳でしょうか?彼の最後の作品は、バグダッドのザウラ公園に建てられました。イラク戦争から10年を記念して。この最後の最後の作品がまた素晴らしいのです。

2003年バグダッドのサダムフセイン像が引き倒された場所に
文化記念碑を保存(wikipediaより)

壊れて崩れかけた円柱は、円筒印章を彷彿させます。周囲を複数の手を持つ幹が囲み、倒れないように支えようとする試みを表現している(楔形文字で、「文字はここから始まった」と書かれています。息子さんが父の偉業を完成させたそうです。

晩年のガニ・ヒクマット
シェラトンホテルに飾られているイシュタル

正に、王政から、共和国、そしてサダムの時代、そしてアメリカの占領を生き延びたイラクそのものを体現するわっかといえるでしょう。
街中の彫刻は実は、博物館のものとは違い、あまりよくみることはないのです。しかし、今度バグダッドに行くときは注意してみたいと思います。

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