インドでの気づき(ふとした会話から)
去年から数回に渡ってヴァラナシやコルカタなどに滞在していました。
ドゥルパドのレッスンが目的だったので、観光的な滞在ではなくて、先生のアパートに滞在させてもらったり、地元のゲストハウスに泊まったりしていました。
今年の冬、コルカタで滞在したゲストハウスでのこと。
そのゲストハウスはオーナーの家族が隣のビルに住んでいたので、ご飯を頼んだりするとちょこちょこ娘さんが持ってきてくれたり、お父さんが足りないものないかと聞いてくれたりしていました。
娘さんは、中学生くらいかな。読書家で、日本が好きらしくて、学校で日本のこと習ったんだよと教えてくれました。どんなことを習ったのだろうと思ったら、「日本のスーパーには調理済みの料理がパックになってたくさん売っていて、みんな忙しいからほとんどの人は家で料理をしないで、そういうお惣菜を買っていると習ったよ」だって。
「あなたもそうなの?」と聞かれて、びっくりしました。
「それは人によるのよ」と答えておいたけれど、ちょっと私的にはショックでした。日本のことをそういう風に教えられているのかと。
インドでも近代化が進んで、ウーバーの配達がすぐきたりするけれど、スーパーにお惣菜やお弁当は売っていないのです。だから、日本のスーパーで綺麗にならんだお弁当が物珍しいのかな。
インドはモールも増えてきてはいるけれど、まだまだ商店街的な個人のお店がほとんどです。だから、これください、と言わないと買えません。(でも、キャッシュレスは進んでいて、どこでもピッっと買えます。)
あと、インドでは、まだまだ料理や掃除をするメイドさんがいるので、ある程度のレベルのお家ではメイドさんが料理を一から作るのを手伝っています。逆にメイドさんたちのお家は、外食やウーバーのデリバリーなどを頼む余裕はないので、自炊とたまにローカル価格のストリートフードを食べるくらいなのではと思います。
ヴァラナシで滞在したゲストハウスでも数十年来のメイドさんを雇っていて、オーナー夫婦はメイドさんたちをとても大切にしていました。
何かの説目にはプレゼントを贈ったり、娘さんの結婚式をサポートしたりしていました。ただ、メイドさんは都合悪くなると、突然来なかったり、来てもすぐ帰ってしまったりなどインド独特の身勝手さというか、マイペース的なところもあります。だから、ムンバイなどの大都市に住んでいる人は、
メイドさんの仕事は電化製品に置き換えた方が効率がよくて良いと言っていました。
今や東京のスーパーは、どんどん無人のレジになってきて、誰が作ったのか見えないお惣菜やお弁当が並んでいます。機械が作っているお惣菜も多いのでしょう。商店街の八百屋さんやお魚屋さんが懐かしい。そこには何気ない人と人のやりとりがあったから。ロボットは喋っても、なんか無味乾燥を感じるのです。
インドもあと10年くらいたったら、メイドさんの仕事がほとんど電化製品に置き換えられて、カラフルなサリーを着たメイドさんはいなくなっちゃうのだろうか。サリーを着て作業をしている姿は美しいなと思うから、それが見られなくなるのは寂しいな。(個人的な意見ですが)
まあ、もうちょっとインドの街は、近代化の波で綺麗になってほしいとも思うけれど。あと騒音も禁止してほしいと切に願います(笑)