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伴走し続けたその先は

先日、最後の訪問をさせて頂いた。

その方は、私の訪問を最後に施設に入所する。


基礎疾患は色々あったが、その方の日常生活を一番阻害していたのは

「認知症」だった。

90代、男性、お一人暮らし。(Bさんとさせて頂きます)

妻はご存命だが認知症により既に施設に入所中。

息子、娘は県内に在住しているが、同居はしておらず。


日付けも、時間も分からず、ご飯の支度もご自身でできないBさんは。

連日のヘルパーの介入と、訪問看護

週1回のデイサービスで日常を何とか成り立たせていた。


私が初めて独り立ちして訪問させて頂いたのがBさんだった。

そして、その日私はBさんの最後の訪問を担当させて頂いた。


施設に入所することをBさんは望んでおられず

入所の日時も本人には告げていなかったため

私は別れ際に

「さようなら」も

「ありがとうございました」も

「元気でいてください」とも

言う事ができない。


いつもと同じように

また訪問しに来るようなそぶりで

「じゃあ、私これで失礼いたします。他にお困りごないですか?」と

Bさんに声をかけた。


Bさんはなんだかソワソワした様子で

一日2食しか食べていないこと

ご自身が痩せてしまったこと

手首の脂肪が無くなってしまったことを私に

繰り返し、繰り返し

話してくれた。


その時、私は感じ取ってしまった

Bさんは

施設に入ることに

気が付いている

訪問看護がもう来ない事にも

気が付いている

不安な思いを抱いている事を

必死でアピールしていると。


Bさんのお話が終わるまで

私は傍らで耳を傾けた

落ち着くまで

その場に留まった。


私たち訪問看護は

ご利用者様の伴走者。

いつもどんな時も

ご利用者様の

「より良い」を目標に

伴走し続ける


けど、伴走し続けたゴールは

様々だ。


施設に入ることは決して悪い事ではない

ご飯の心配も

火の元の心配も

寒くて風邪や心不全を起こす心配も

なくなる


けど

まるで騙すようにしてBさん宅から帰らなければならなかった事が

何よりも

私を苦しめた


しかし、伴走者である私が

Bさんにできる最後の仕事は


何一つ変わらない日常を最後まで提供することだ


自宅に居られるその間は

心穏やかな時間をすごせる

そのために私は真実を話さなかった

それが

伴走者としての役割だと信じたい。


この場を借りてお礼をさせてください

Bさん、沢山の素敵な時間をありがとうございました。

認知症を患いながらも

生家を守りたいと

お一人で頑張って生活していたBさんを

私は尊敬いたします。






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