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自分の時間をどうしたいか。

時間を大切にしよう、時間を有効に使おう、というのはよく言われることだと思う。
時間は平等に有限だし、がんばっても増やしたりできないから、どのように使うかによってすごく差が出てくる。

時間を有効に使おう、というときに、いかに無駄を省いたり効率的にしたりして時間を生み出すか、同じ時間で生産性をあげたり効果を高くしたりするか、というようなことに焦点を当てがちだ。
それはもちろん大事なんだけど、そのためにも、また、その状態を続けやすくするためにも、いかに今の時間を心地よくすごすか、機嫌よくいられるようにするか、って1番重要だと思う。

そもそも機嫌悪かったりしんどかったり居心地悪いままで、ハイパフォーマンスになるのとか無理だし。

たとえば何かアクシデントがあったとき、心地よくいられるような選択肢を取る人と、アクシデントで起こったいやな気分にフォーカスする人といるよね。

前者の人は、そのアクシデント自体には困ったり残念に思ったりしても、じゃあその後どうしたらベストだろう?って考える。
どう対処するか、どうリカバリするか、どんな風にほかにもっとよくできるか。
起こったこと自体に(過去に)フォーカスしても何もよくならないから、これからどうするかにフォーカスする。

後者の人は、そのアクシデントでいやな気分になった自分の気持ちを、そのまま表したり人にあたったりする。
誰のせいでもないアクシデントでも、不機嫌になる、まわりに八つ当たりする、とか。誰かのミスで問題が起こったのなら、その人を責めるとか。
そうしても別に状況はよくならないのに、そのときのいやな気分をすぐになんとかしたい、のが先にくるのだろうと思う。
でも、なんとかしたいはずなのに、起こったことにフォーカスして、結局そのいやな気持ちにとどまって持ち続けている。

どっちが心地よく機嫌よくいられるかって、いうまでもなく前者だよね?
後者の場合、何もよくならないし余計に状況が悪くなったりするよね?
でも、そういう人はよくいるし(この例まで極端でないかもだけど)、すぐに対処やリカバリに向かう人でもぴりぴりしながらやる人もよくいる。

ただ、機嫌よくいられるのがいいよね、っていうのは、がまんして無理して機嫌よい感じにしておけばいいって話ではない。
がまんしたり無理したりしてる時点で自分が心地よくいられてないじゃん?

だからといって、まったくがまんせずにそのときの衝動のままに当たり散らかしたり、機嫌悪くいらいらしながらすごしたりしても、全然心地よくはないと思う。
一瞬感情を爆発させたらすっきりして気持ちよく感じるかもしれないけど、せいぜいそんなの一瞬で、その後後悔したり居心地悪くなったりするよね?
いらいらしているのを変に気づかわれても、逆にスルーされていても、もやもやして余計にネガティブな感情が大きくなったりしない?

機嫌悪くいる人だって、ほんとは機嫌悪くない方が自分のためによい時間になるってわかってるんじゃないかなぁと思う。
自分が機嫌悪いとまわりの人含めいやな雰囲気になったり、組織(仕事でも家族でも友達でも)内での関係性が壊れたりその再構築に時間を取られたりして、無駄も大きいし。
機嫌悪くいること自体、まわりの人だけでなくて自分だっていやじゃんね?

一瞬の感情や衝動に惑わされずに、ベストな選択をしたら、心地よくいられる方にいくはずだと思う。

別に、心地よくいられるようにするべきだ、機嫌よくいる方がいい、って言いたいわけじゃない。
だけど、ほんとに自分にとってのよい選択をしていたら、心地悪く機嫌悪くいる状態にならないよね?

心地悪く機嫌悪くいるのは、1番時間の無駄だと思う。
自分とまわりの人の時間もエネルギーも消耗させてると思う。
だから、心地悪く機嫌悪くなってる時点で、その選択はミスってる。

自分の時間をどう使うか、自分のエネルギーをどう使うかってすごく大事だから、心地よく機嫌よくいられる選択をできるといいなと思う。

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