#61 敗退 ビジャリカ-1
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
プコンに来た最大の目的は、ビジャリカ火山の登山。
雪山はおろか、まともな登山の経験すらほとんど無かったけれど、標高自体それほど高くはない山だし(2,847m)、ガイド付きで登るんだから「わたしにだって、できるはず」と意気揚々。
最初はいくつかの旅行会社を周って探すつもりだったけれど、泊まった宿でも参加者の募集をしていたので、簡単に説明を受けた後、そのまますぐ翌日の参加を申し込んだ。夕方からは事前の説明会。提携している近くの宿に行くように指示された。説明会が始まる10分前に到着すると、既にかなりの人数だ。「こんなにいるのか…」と驚いたけれど、無理もない。山の天気予報によれば明日は絶好の登山日和だ、と宿の人も言っていた。
翌日は、6時半に宿まで迎えに来てくれたワゴン車に乗って前日の提携宿に集合し、そこで登山用の防寒着やらバックパックやら、必要な物が配られた。まだ外は真っ暗な中、薄暗い明かりの下で、次々と渡された物を受け取りながら、本当に不足は無いかと不安になる。
最後にサイズを聞かれて渡された靴を履いてみると、防寒用の厚手の靴下を履いた上からでは指先が、かなりきつかった。もうワンサイズ大きいのは無いかと聞くと、他に靴の予備はほとんど無さそうな中で、見た目も違うちょっと重めの靴を渡された。履いてみると今度は少し大き過ぎる気がしたけれど「小さ過ぎて指が痛くなるよりはいいだろう」と判断し、それに決めた。
ビジャリカ山の登山口に到着したのが、8時過ぎ。
そこにはリフトがあって、途中までリフトで行くか、歩いて登るかは個人の判断に任された。わたしも同じ宿から参加したメンバーも歩く方を選択。ここから登山が始まった。
登り始めてすぐ、「何かがおかしい」と気づく。
登山自体はほぼ初めてだけれども、パタゴニアに来て以来、かなり急な登りのある山道も含めて、歩くことには十分慣れているはずだった。にもかかわらず、早々に息があがってしまい、足が思うように上がらない。同じ宿から参加したメンバー10人くらいのグループで登り始めたのに、わたしだけが、どんどん皆から距離をあけられてしまった。途中、何度かガイドが止まって遅れるわたしを待ってくれたり、見かねて彼のトレッキング・ポールを貸してくれたりもした。それでもペースを上げることはできず、皆との距離はなかなか縮まらない。
どんどん重たくなる足を引きづるように登りながら、「靴が合っていないんだ」と気づいた。
「大き過ぎるかも」と思った靴はやっぱり全く合っていなくて、斜面の上で踏みしめた時、わたしの足は靴の中でズズズッ…と完全に滑り落ちていた。「まるで足枷をつけているみたい…」とこの時は、自分が囚人の姿で登っている図が頭から離れなかった。
そのうち変わりやすい山の天気も気まぐれを発揮して、どんどん風が強くなってきた。
いつの間にか、遅れたわたしに一人のガイドが専任でついてくれていて、風が吹く度にグラリと身体が傾くわたしを飛ばされないようグッと支えてくれた。吹き付ける風の冷たさで鼻水や涙があふれ出て来る中で、「こんなはずじゃない!こんなはずじゃない!」と思いながらも、こんな調子で頂上まで行ける自信も無かった。
何度目かの休憩の時、とうとう言われてしまった退避勧告。「君の体力では、これ以上進むのは危険だから、ここから下山しよう。」 最後に「I’m sorry…」と言われて、断ることなんてできなかった。わたしと一緒に下山するグループは、全て女の子、それも小柄な子ばかりだった。日本人の中にいる時、自分が小柄だと思ったことは一度も無かったけれど、西洋人の間にいるとやっぱり身体が小さいことは否定できない。この時ほど「飛ばされないくらいのガタイが欲しい!」と思ったことは無かった。
風に耐えながら、一歩一歩踏みしめて下る道。山の強い日差しを避けるため、ずっとサングラスを掛けているのをいいことに、悔し涙が流れるのを我慢することができなかった。
結局この日、同じ宿から参加したわたし以外のメンバーは、登頂を達成して帰って来た。みんな「疲れた~!キツかったー!」と言いながらも、晴れやかな顔。この夜、登山参加メンバーで打ち上げBBQをするからどうか、と誘われたけれども、気分的にも体力的にも楽しめる自信が無かったわたしは、早々にベッドに入り、泥のように眠りについた