気づいたかも
昔から思い込みが激しい、って人に言われる事が多い。それも自分ではうまく立ち回ったと思っている時に限って。
お客様からの電話でちゃんと説明して納得してもらったと思っていたら全然違っていたとか、場所や時間を勘違いしていることも結構ある。
私は繊細でも敏感でもない、ってずっと思っていたけど、それこそが思い込みだったかも、と友達の言葉で気づかされた。
「あの人はすごく素敵だから当たり前だけど、私にはそんなすごいことは起こるはずないとか、叶わないかも、って思ってるでしょ?
それだと叶わない、ってことが叶っちゃうよ」と友達に言われた事で、
そっか、私は思い込み強めだから、出来ない、叶わない、向いてない、ってかなりの年月を自己暗示かけて過ごしてたかも、とわかってしまった。
同時に、私は両親に大切に育ててもらったし、いい人にいつも恵まれていてあまり大きな不幸はやってこない、と幸せな自己暗示もかけてたかも。
昨日は会社を出る時に、とても美人の同僚に、「もうすぐ皆既月食始まりますよ」、ってさわやかに教えてもらったから嬉しくなって、子どもたちとのライングループに書き込みした。
皆既月食がもうすぐ始まるらしいよ、って。
いつもは数日既読にならないのにその時はすぐに娘からも息子からも返事をもらった。
子どもたちは外に出て月を探してくれたらしい。ほんとにかわいい。
ずっと前だけど子どもたちと一緒に住んでいる時、お月見のチーズケーキ買って帰って一緒にお月見したことなんかも思い出して幸せな気持ちになった。
子どもたちと離れて暮らすという決断をしたときは不安で一杯だったけど、子どもたちとの絆は途絶えたりしないんじゃないかという根拠のない自信もあった。
その自信は砕かれそうになったりもしたけど、今考えるとそれも私の思い込みだったかもしれない。
今まで苦手だと避けていたことも案外好きかも、向いているかもしれないし
仕事やこれからの生き方ももっと変えていけるかもしれない
そこで『叶わないかもしれないな』、と暗示をかけるより、
『どんな形かわからないけど叶うでしょ』、と思ったらなんか納得した。
10年以上前に昼休みに会社近くのお好み焼き屋さんに同僚の女性とランチに行った時に不思議な、スピリチュアルなおじいさんに偶然会った。
一緒に行った女性はそのおじいさんからいろいろアドバイス受けてたけど私はほとんどアドバイスももらえず。
数日後、そのお店に行った時におかみさんから、「そのおじいさんは政治家も通うくらい有名な鑑定士だけど、あなたの事を、幸せな人だから大丈夫だって言ってたよ」と教えてもらったことがあって。
その一度会っただけの不思議なおじいさんが私の事を幸せな人だと言ってくれていたなら大丈夫だなとお守りみたいな言葉になっていたことも思い出した。
子どもたちと離れた時も、その後数年間元夫とうまく協力出来なくて苦しかった時期も、仕事や人間関係で悩んだりもしたけど
自分でうまくいかない、もうダメだという思い込みをちょっと脇においてみると乗り越えられないほどの壁はなかったなと今はわかる。
皆既月食は見られない、とあきらめかけてたけど、一応もう一度外に出てみたら奇跡的に半分黒い月が見られた。それを子どもたちに伝えて、一緒に月見をしているような気持になれた。こういうほのぼのとした幸せが大好きで。
わざわざ難しく考えたり、叶わないかも、といいらない決めつけをするのをやめてみようと思ったら、必死でつかんでいたことも、手放せなくて苦しかった気持ちも他人事みたいに軽くなった。
遅かれ早かれ叶うでしょ、もうムリかもと思った子どもたちとの関係も前より強いものになった自信もあるくらいだから、と改めて思えるようになった。
最近友達一緒に新しいことを始めてみたりしていてなんか楽しい。
ありがたいなってつくづく思う。
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