アタマの錆に危機感を持ったら。
30代の頃から友人たちとはよく、「若い頃は30代はもっと大人だと思っていたけど、自分がなってみるとあの頃見たような大人になれている感じはしないよね」なんて話していたけど、その感覚は40代半ばとなった今も変わらずある。
しかし。いま、より危機を感じるのは「成長していない」方ではなくて、「後退している」方だ。
物忘れとか判断力の低下とか、まだそういった深刻な機能低下ではないのだけれど、頭の感覚のある部分が錆びついてきたような、神経が抜けてしまったところがあるような、そういう感じ。
常にそういった感覚があるわけではなく、普段は無自覚だけど、あるとき自分自身の行動や思考の違和感にハッとすることがある。
「いま自分がやったこと、若い頃に私自身が嫌悪していたことだ」
「今日後輩にアドバイスしたあれって言わなくてよかったよな」
など。
シンプルにいえば老害行動のヒヤリハットだ。
老害って誰もなりたい(やりたい)と思ってなって(やって)いるわけではないんだなというのも、当事者になって分かった。
このままだと私たぶん、老害を撒き散らすようになっちゃうなと思って始めたのが、ハッと気づいた自分の要注意行動を記録しておくこと。
ちなみに「自分の」だけではなくて、人の行動から気づいたことも記録している。
私は義母と同居しており、義母は老害の師範代みたいなもので、そういう意味では幸運なことに、自らやってみずとも要注意行動の記録が順調にたまる。
記録しておいて時折見返すことで、一度気づいた要注意行動には自制できるようになるし、他人の無神経な行動にむやみに腹が立つようなことも少なくなった気がする。
🌿
記録しているのはもちろん Stockr 。
(私はStockrの開発チームでCSをしている)
仕事でもプライベートでも多用しているからというのもあるけど、Stockrの「書いたことをランダムにリマインドしてくれる」機能(=再発見)が、見返すのに最適なのだ。
要注意行動なんて、正直自分で意識して毎日見たいと思えるものではない。だから「ごくたまに」受動的に見せてくれるのがちょうどいい。
改めて自分から見返していたらこんなことを書いていた。
(基本的に自分しか見ないものなので表現がなかなかに辛辣である…)
年齢を重ねるにつれて、自分の状態がどんなであれ行動には責任が問われるようになるし、言い訳がきかなくなってくる。
にもかかわらず、年齢を重ねるにつれて感覚や神経は錆びついてくる。
できるだけ長く長く自分の言動に責任を取れる大人であり続けるために、客観力でサビを落としていこう。