【私の原点】お母様からのお手紙
ただいまnote。
こんなに長い間投稿しなかったのは初めてで、今こうやって投稿画面と向き合っていることに喜びを感じています。
色々と立て込んでいましたが、もう落ち着いたのでこれからはちゃんと記事書きます☆そして皆さんの記事もたくさん読みにいきます☆
今日は、私が新人プランナーだった頃のお話を少ししたいと思います。
先日Clubhouseを聞いていてこの記事を書こうと思いました。
ウエディングプランナーを目指している学生が大手企業トップの方にお悩み相談をしている場面で ”あ、その不安な気持ちめちゃくちゃ分かるかも” と共感したんです。
プランナーにとって有利な年齢ってあるんですか?
これが学生さんから出た質問でした。
これからフリーランスのウエディングプランナーを目指したい、と意気揚々とした彼女。
私はちょうどこの質問が上がったところからclubhouseに入り、ものの5分で退出してしまったので、どのようなアドバイスを受けたのかは分からないのですが、
私の経験がこれからウエディングプランナーを目指す彼女たちの参考になればと思いあの頃を振り返ってみたいと思います。
22歳のわたし
私は22歳でウエディングプランナーの仕事に就きました。
短大を卒業してすぐアパレルの会社に就職しましたが、ウエディングプランナーという素敵なお仕事があると知った瞬間、退職願を出していました。(このきっかけもすごく面白いものがあるので後日別で書きます)
辞めたはいいけれど、ウエディングプランナーって中途採用の条件が厳しすぎて(当時は)すぐ就職はできなかったんですよね。
どの会社も中途採用は”経験者採用”が基本だったんです。(今は少し柔軟になりましたが、当時はハードルがめちゃくちゃ高かった)
えっ!?
新人ちゃんは新卒採用枠しかないの?
目が点状態になったことを今でもはっきりと覚えています。
私は諦めませんでした。
社会人でもプランナーの知識が学べる学校に入学してアルバイトをしながら必死に勉強しました。
その当時アルバイトしていた所がホテルのロビーラウンジで、当時は地元では人気NO1の格式のあるホテルでした。
毎週末、たくさんのご披露宴やご結納のお客さまでロビーも賑わっていて、私も早くこの華やかな世界でお仕事したいな、と夢を思い描きながら勉強とアルバイトの日々を過ごしていました。
*
転機は訪れます。
ブライダルの検定試験に無事合格し、就活に力を入れるためアルバイトを辞める、という決断をしました。
それを当時の料飲支配人に伝えたら、”うちのホテルで働かないか?”と誘いを受けたんです。
当時、私のなかでホテルでのウエディングプランナーという選択肢はありませんでした。なぜならば、ホテルは異動があるから。
ホテルの新人時代は2,3年ですぐ部署異動があります。また、新入社員は最初の配属先の希望がなかなか通らないのも知っていました。
それをアルバイトをしながらずっと見てきたので、入社した瞬間、フロントや料飲部に配属されたら絶対イヤ、そもそもに私はプランナーのお仕事だけに興味があったんです。
そしてせっかく憧れのウエディングプランナーになっても2,3年で部署異動になるくらいなら最初から選ばない、と心に決めていました。
それでも有難いことに支配人とマネージャーから熱烈なアプローチをいただき、ある時考え改めました。
そっか、”正社員じゃなきゃ異動はない”
であれば、そのままアルバイトで入ってしまえばいい、という選択。周りからはあり得ない、と言われましたが当時から雇用スタイルに拘りはなかったので、その選択肢を見つけた時にはあっさり決断することができました。
そしてちょうどその時、ブライダルの部署に産休に入る方がいるということで気が付いたらウエディングプランナーの世界に飛び込んでいました。
(半年後には正社員試験を受けて、晴れて正社員に。奇跡的に9年も同じ部署に居続けました)
早く30歳になりたかったあの頃
私が勤めていたホテルは沖縄で唯一、皇室が沖縄訪問した際に宿泊するような格式あるホテルでした。そのため、カップルの年齢層も高く、当時のプランナーさんは皆、30代から40代。
その中にポツンと22歳の私。
風当たりも強かったなぁ(笑)
1ヶ月で5キロ位痩せたのを覚えています。
でも念願のウエディングプランナーというお仕事。本当に大変だったけれど、毎日充実した日々を過ごしていてとても楽しかったなぁ。
若いというだけで少し浮いていたあの頃。
経験が浅い分、引出しの数を少しでも増やして、お客様の質問になんでも答えられるよう努力していました。
*まず、先輩の打合せにずっとついて終始メモを取りまくる。
*電話が鳴ったら私が一番に取る。
(これが一番の学びだった)
*先輩が電話をしている時も聞き耳たてて、適切なアドバイスの方法を学ぶ。
*積極的に新規接客に出る。
*週末の婚礼資料全てに目を通す。
(繁忙期は1日MAX8件、毎週末10件以上もの婚礼があった)
とにかく、
先輩から盗めるところは全て盗みました。
経験はすぐに積めるものではないけれど、知識や接遇は自分次第で身に付けられる。そう思って必死に学びました。
担当を持ったことがない、ということを隠すために先輩の担当事例をあたかも私が担当した結婚式かのようにお客様にお伝えすることも多かった(笑)
そして、話をするときは大人感を出すために、ゆっくりと敬語は正しく。
身だしなみにも気を付けました。普段からナチュラルメイクだった私、この時ばかりは大人メイクを心掛け、スーツを着る時はリクルートっぽくならないようストッキングはいつも黒を履いていました。
とにかく、できるだけ上の年齢に見られたかった。あの頃は”早く30歳になりたい”
と本気で思っていました。
担当デビュー
そして、ブライダルの部署に配属されて半年が経ったころ、初めて担当を任されました。
なんと、新郎新婦様は県外にお住まいでお打合せは沖縄にお住いのご両親。
えっ!?
最初からご両親様とのお打合せなんてハードル高すぎでしょ?と思いましたが、初めて担当を任されたことがとても嬉しくて嬉しくて、たくさんのロールプレイングを経て打合せスタート。
とても穏やかなご両親様で毎回の打合せもとても楽しく、こんなにスムーズで大丈夫?と思うくらいあっと言う間に本番を迎えました。
新郎新婦様は前日沖縄入りだった為、正直お会いする時は今までで一番緊張しました。
担当プランナーってこんなに若い人だったの?新人ちゃんで大丈夫??って思われないかなぁ、、とか色々不安だらけで。
でもそんな不安なんて当日一気に吹き飛びました。
会った瞬間、ご新婦様が ”冨名腰さんずっとお会いしたかったです!” と満面の笑みで駆け寄ってきてくださったんです。
本当に嬉しかった。
ホッとした瞬間でした。
ご結婚式も無事結ぶことができ、最後のお見送りを終えてご両親様にご挨拶した際に、お母様から言われた一言に衝撃を受けました。
今でも鮮明に記憶しています。
冨名腰さん、今日この日を迎えるまで本当にありがとうございました。そして初めての担当お疲れ様でした。息子たちが遠方に住んでいたから色々と大変だったと思うけど、私達のためにいつも一生懸命提案してくれて、本当に安心して当日を迎えることができたんですよ。
そして、冨名腰さんの最大の武器は”笑顔”よ。その笑顔でこれからもたくさんの新郎新婦様を幸せにしてあげてくださいね。
ただただ嬉しかった。
そして、私が初めて担当したことを知りながら(どうやら途中で先輩に聞いていたらしい)、不安を口にせず当日までまるで我が子のように温かく包んでくれたご両親様。本当に感謝しています。
そして笑顔を褒めてもらったこと、本当に嬉しかった。この時から私の武器は”笑顔”だと自負しています。(周りがどう思っているかはちょっと不安だけど…)
↑後日お手紙までいただき、また号泣…
プランナーに年齢は関係ない
この時感じたこと。
年齢って関係ない。相手を想う気持ちが一番大切で、それが相手に伝わればプランナーの年代が20代でも60代でもお客様にとっては関係ないんだな。
結婚式が大好き!
新郎新婦様とゲストの皆様に笑顔溢れる最幸の一日を過ごしてほしい!
ありきたりの言葉だけど、この気持ちが大切なんだと思います。
*
もちろん、努力も大切です!
プランナーになれたからといってそれで満足し、自分が成長できないことを周りの環境や先輩のせいにするのはあり得ません。
学びを怠ると痛い目を見ます。
ウエディング業界はそんなに甘いものではありません。
経験が浅い分、知識でカバーする。
トレンドもすぐ変わる業界だからこそ日々勉強です。
今でも私は学びの日々を過ごしていますよ。
*
お母様からこのお言葉をいただいてから早17年。
私は今もウエディングプランナーを続けています。
これまでにたくさんのお手紙をいただきました。私は躓いた時にこのお手紙を読み返して、原点に戻っています。
あの頃の気持ちを忘れず、これからもたくさんの新郎新婦様の幸せのお手伝いができることを楽しみにしています。
久しぶりのnote、嬉しすぎてたくさん書いてしまいました。
長文お読みいただきありがとうございました。
MAKI