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ゴジラの夢6.私の植物図鑑
アカマンマ
道ばたに咲き、あかい房をつける雑草を私たちはそう呼んでいた。ほんとはイヌタデというらしい。
おままごとのとき、この房をしごき、赤い実を集めてご飯のようにするので、そう名づけられているのだという。しかし私はそういうふうに遊んだことはなかった。庭にゴザを敷いてままごと道具をならべて、という、絵本にあるようなままごと遊びはしたことがなかった。第一、ゴザがなかった。ままごと道具もなかった。ままごとをして遊ぶ女の子の友だちもいなかった。私はいつも男の子たちと、かけまわって遊んでいた。
それでもこのアカマンマの赤い色は私を引きつけた。原っぱにはいろんな雑草が生い茂っていたが、アカマンマは少なかった。アカマンマは、いつもどこか遠い、知らない道のはたに生えていた。思う存分アカマンマを摘んで、赤いご飯をつくってみたかったが、母親が道を急ぐので、通りすがりにいくふさか急いで摘み取るのがせいいっぱいだった。
その後私はお大師さまの縁日で、赤やピンクや黄色のプラスチックのおままごと道具を買った。一回のおこづかいが十円でしかなかったので、ずいぶん長いことかかって少しづつ買い集めたのだ。そのころにはゴザもあったしゴザをしいて遊ぶ広い庭もあったので、妹を相手に実際ままごと遊びをしてみたけれど、その時私はすでに小学三年生になっていたので、なんだかしらけてしまって、長続きしなかった。
ペンペン草
かたい茎のあたまに、小さなばち形の実がついている。今見ればそれはハート型なのだが、その頃の子供たちはハート型などという言葉は知らなかった。この実のついた柄を裂いてかんざしをつくるのだ。耳のそばで振ると、ペンペン草のかんざしはチリチリとかすかな音をたてた。
ペンペン草はいやしい草だと聞かされた。貧乏人の家にはえるのだと聞かされた。でも私たちはこの草でかんざしをつくるのが好きだった。
ネコジャラシ
このとがったノギをもった草の穂で、よく遊んだ。だれかの後ろからこっそり近寄ってこの穂をえりくびからほうりこむのだ。
実際に猫をじゃらして遊んだことはなかった。猫というのは、こんなものでじゃれて遊ぶほど無邪気な動物とは思えなかった。私の知っている猫は、鋭い目をして逃げ隠れし、けっして人に近寄らなかった。それらの猫はどこかの飼い猫にちがいなかったのだが。野良猫はいなかった。当時家庭で出す生ごみはごくわずかで、野良猫が生き延びられるほど世の中は甘くなかった。
ヒメジョオン
原っぱにでも、道端にでも、どこにでも咲くこの背の高い草花の名を私たちは知らなかった。花が終わるとまばらに綿毛をつけるので、私たちはそれをタンポポと呼んでいた。しかし私の母親がそれはタンポポではないと言った。
やがて私はほんとのタンポポを見た。それはもっと郊外の畑のあぜなどに生えていて、その綿毛はふうわりと丸くてきれいだった。私は納得したが、それでは私たちがタンポポと呼んでいたあの白い花弁と黄色いしべをもった花は何だったのだろう。
のちに植物図鑑を見て、私はそれがヒメジョオンという名の帰化植物であることを知ったが、なんとなくしっくり来ない名ではあった。
ドクダミ
便所の裏にこの草はびっしりはえるのだった。名前からしてどぎつくて気持ちが悪かった。毒があるのだと私たちは信じて、さわるのもいやだった。でもこの草は薬になるのだと母親は言った。
母親はめまいもちで、ときどき薬をのんでいた。「ちゅうじょうとう」という名で、紙のふくろにはいっており、お湯で煮出してのむのだった。すると部屋中に、薬の匂いがたちこめた。母親はときどき寝込んで、私にこの薬を買いに行かせた。
「お姫様の薬ね」
薬の箱にはかんざしをつけ、髪を垂らしたお姫様の絵がついているのだ。私は四つぐらいだったが、表通りまで薬を買いに走った。
「ちゅうじょうとう、ください」
すると薬屋のおばさんが、おつかいができてえらいとたいそうほめてくれた。
その薬にはドクダミが入っているのだと私は信じていたが、どうだったのだろう。
チョウセンアサガオ
原っぱの鉄条網にからんで、この花は咲いていた。おとなたちが毒があるから摘んではいけないと言うので、誰もこの花にはさわらなかった。
ほんとの朝顔とくらべると、へりだけ薄く赤みを帯びたこの花はみすぼらしく見えた。でもほんとの朝顔は日が照るとすぐにしぼんでしまうのに、この花は暑い日盛りの草いきれの中で咲き続けていた。
イヌフグリ
春になるとあちこちにこの花が咲いた。小さな青い花が星をちりばめたように咲くのだった。あまりに小さいので、だれもこの花を摘まなかった。私はこの花の名を知りたかったが、母親も知らなかった。私たちはこの花を、ホタルグサと呼んでいた。しかしもうひとつ別のホタルグサがあった。それはツユクサのことだった。どっちがほんとのホタルグサなのか、子供同士で言い争ったこともあったが、決着はつかなかった。
のちに植物図鑑で知った名は、イヌフグリというのだそうだ。その時私はフグリというのがどういう意味だか知らなかったが、変な名だとは思った。
オナモミ
原っぱの草ぼうぼうの中をこいで歩くと、このとげとげの実が服にくっついてきた。私たちについて歩くローも、毛皮にいくつもこの実をくっつけていた。ローは自分ではこの実をとることができないので、私たちがとってやるのだった。そうやって集めたこの実を、誰かの背中の手のとどかないところにくっつけてからかって遊んだ。えりくびからほうりこむことは、だれもしなかった。痛すぎるからだ。その頃の子供たちのいたずらには、そういう節度があった。
シロツメクサ
この白い花は原っぱには咲かなかった。おばあちゃんの家の近くの、「出張所」という建物の庭に咲いていた。「出張所」とは何の出張所だったのか、私は知らない。おばあちゃんの家に遊びに行くときは、たいてい休日だったので、出張所は閉まっていたが、門は開けっ放しだった。芝生と庭木と花壇のあるその庭で私たちは遊んだ。この白い花で花環をつくることや、四つ葉をみつけると幸運のお守りになることを、私は叔母さんたちから教わった。
私はそれを「れんげそう」と言う名で教わった。しかし小学校一年のときの先生が、それはレンゲソウではない、レンゲソウというのは赤いのだと言った。しかしではその白い花はなんというのかは教えてくれず、私はなんとなく気がひけながら、その後もその花をレンゲソウと呼んでいた。
小学校二年生の時に移り住んだ練馬では、畑の畦道や用水路の土手を、長々と歩いて通学しなければならなかったが、その土手にこの白い花がいっぱいに咲いていた。私は毎日花環をつくりながら通った。というものの、花を束ねてつなのようにするだけで、最後にそれをわっかにする方法までは会得しなかったのだが。その頃もまだその花は私にとってはレンゲソウだった。
植物図鑑で調べて、ようやく私はその花がシロツメクサというのだと知った。
人知らぬ里に生うる 四つ葉のクローバー
三つの葉は 希望 信仰 愛情のしるし
残る一葉は幸 もとめよ疾くその葉
よく母親が歌っていたが、クローバーというのは私の知っている白い花にまちがいないと知って、ほっとしたりもした。
その後に知った歌に、
ねんねのお里のれんげそう、うすむらさきのれんげそう
というのがあって、やっぱりほんとのレンゲソウは白くはないのかと思った。
その後ずっとあとまで、ほんとのレンゲソウを見ることはなかった。
カヤツリグサ、イノコヅチ、ジシバリ、オヒシバ、メヒシバ……茎を折ったり、実を集めたりしてさんざんに遊び、葉脈のかたちのすみずみまで知っているそれらの草の名を、私はのちに植物図鑑でひとつひとつ見つけだしたのだった。花壇に咲く花にはほとんどなじみがなかった。