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Swing Low, Sweet Chariot

 遠い昔のテレビの西部劇、「ララミー牧場」には「爺や」と呼ばれる人物が登場します。皮肉な物言いで若い主人公たちをたしなめたり助言したり。料理が得意で、ピアノやマンドリンを弾いて歌ったりもします。俳優の名はホーギー・カーマイケル。それが名曲「スターダスト」や「わが心のジョージア」を作曲した、作曲家でピアニストで歌手であると知ったのはのちのことです。
 インディアンの松明たいまつの火に牧場が包囲された危機的状況下で、爺やが乞われて歌います。歌は吹き替えられていたのですが、私はその歌詞をおぼえています。子供の記憶力って不思議です。
 「いとしい恋人 どこへ行くの
  あの幌馬車で 見知らぬ土地へ
  いとしい恋人 どこへ帰るの
  わたしは荒野の 土に帰るの」
 ずっとあとになって、かのホーギー・カーマイケルが歌っていたのに、それを吹き替えてしまったのだと気がついて腹が立ちました。でも思えばこの吹き替えの歌詞、なかなかです、原曲の歌詞とはかけ離れていますけれども。
 その後、ハリー・べラフォンテが歌っているその歌を聴いて、「Swing Low, Sweet Chariot」という歌だと知りました。「揺れよ幌馬車」と題されていました。
 「しずかに揺れよ やさしいチャリオットよ
  わたしを迎えにくるよ 故郷ふるさとに連れ行くため」

 チャリオットは幌馬車ではなく二輪馬車。ベン・ハーが乗ったような戦車のことです。歌詞にヨルダン川と言う言葉があるので、これは賛美歌。旧約聖書では預言者のエリヤが、炎の戦車で天に召されたと言います。(余談ですが、ヴァンゲリスのサウンドトラックが印象的な1981年のイギリス映画、「炎のランナー」の原題は「Chariots of Fire(炎の戦車)」。聖職者をめざすオリンピック選手の話です。)
 この歌の来歴をたどってみました(Wikipedia英語版)。作曲したのは先住民チョクトー族の男で、1865年ごろのこと。チョクトー族はミシシッピー河沿岸からオクラホマに強制移住させられたのですが、白人の文化を取り入れようと努力した人々でした。居留地の学校で彼らの言葉で歌われていましたが、英語の歌詞がつけられ、黒人霊歌として歌われるようになりました。チャリオットは、南部の奴隷を北部やカナダに逃亡させる地下活動の象徴だったのです。公民権運動の時代には、自由を求める闘いのメッセージソングの一つになりました。B.B.キングなど多くの著名な歌手が歌っています。ジョーン・バエズがウッドストックで歌い、今はオクラホマ州の州歌になっているそうです。
 この歌が日本で知られるようになったのは、ラグビーのワールドカップでイングランド代表の応援歌として歌われるからです。1988年にラグビーの発祥の地トゥイッケナムスタジオで歌われたのが最初と言われます。当時のイングランド代表は低迷期にありました。対アイルランド戦のその日、一人の黒人選手が劇的なハットトリックを決めて逆転勝利をもたらしたのですが、彼が最初のトライを決めた時、教会学校の生徒たちが歌いはじめ、やがて会場全体の大合唱になったということです。

 ところが最近、ラグビー・フットボール・ユニオンが、「この歌は奴隷制に関連しており、多くの人がその歴史的意味を理解せずに歌っている、この歌を歌わないように」との声明を出し、顧問のヘンリー王子もその決定を支持していると報道されました。奴隷制に関連した歌がなぜいけないのか? 
 2003年にこの歌を全英でヒットさせたUB40というレゲエ・ポップバンドは、白人黒人の混成グループで、バンド名はイギリスの失業給付の申請書の名前。歌詞には失業や人種差別問題をあつかったものが多いそうです。Swing Lowを歌う時、homeのHを発音しないので、彼らはイライザ・ドゥーリトルのようなコクニー訛りなのでしょう。
 ラグビー協会もヘンリー王子も、庶民がこの歌にこめる思いを理解しないのでしょう。ちなみに、ヒトラーのナチス・ドイツもこの歌を禁止したそうですよ。
 最近ララミー牧場のDVDを手に入れたので、ホーギー・カーマイケルの歌うSwing Lowを聴くことができました。このテレビドラマが制作されたのは1959年。公民権運動が高まりつつある時でした。
 「ちょっと悲しい歌なんだよ」
と言ってこの歌を歌ったカーマイケルの心はそこにあったのでしょうか。
参照:なぜアメリカの黒人霊歌「スウィング・ロー・スウィート・チャリオット」がラグビー・イングランド代表の応援歌になったのか。
https://www.tapthepop.net/roots/100414


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