世界最悪の旅
私はマンガ世代のはしりです。テレビもなかったころ、世界についての情報をマンガを通して得ていたのです。むろんそんなにたくさん買ってもらえるわけもなく、近所の男の子たちと貸し借りしてあれこれ読んでいたのです。
ある少年雑誌の別冊付録に南極探検隊の話がありました。アムンゼンの南極点到達や、日本人としてはじめて南極に行った白瀬中尉の話がありました。しかし一番私の心に残ったのは、「ああスコット隊」という話でした。描いた漫画家は誰だったのでしょう。
スコットが率いるイギリスの探検隊五人は、アムンゼンに南極点到達の先を越され、失意のうちにもどる途中で、飢えと寒さで全滅してしまうのです。忘れられないのは、凍傷で歩けなくなった一人の隊員が、「ちょっと外に出てくる」と言ってテントを出て行く場面です。そしてそのまま戻らないのです。仲間はそういう彼の意図を察しながらとめようとしないのでした。
私はその時小学校一年生でした。でも出て行く彼の気持ちも、とめようとしない他の隊員の気持ちもわかってしまったのです。
その後私はずっと、スコット隊の物語をもっと詳しく知りたいと思っていました。中学校の図書室でも、高校の図書室でも、それに関する本を探したのです。でも概略を書いた本はあったものの、詳細を記述した本は見つからなかったのです。スコット隊に関する「世界最悪の旅」という本があるということは知ったのですが。
それから何十年もあとのこと、駅前のアーケード街の本屋の、天井に近い棚にみつけたのです!「世界最悪の旅」。
スコット探検隊に参加した若い隊員の一人が書いたものです。最悪の旅とは極点への旅のことではなく、進化の謎を解明するため、極夜の真冬に皇帝ペンギンの営巣地へ、卵を採取する目的の旅のことを言うのでした。ペンギンの胚は、爬虫類と鳥類の間の失われた連鎖を証明するだろうと思われたのです(現在では、鳥類は爬虫類からではなく恐竜から進化したと判明していますが)。手記の前半に、著者も参加したその困苦の旅が語られています。
極点への悲劇的な旅の経緯は、スコットの日記にもとづいています。吹雪の中に出てゆく隊員の話は、確かにありました。
それは1911年。十分な防寒具もなく、食糧は缶詰と干し肉、燃料は油のランプ。雪上車もない時代、スコット隊五人は人力で橇を引いて往復二千キロの旅をしたのです。犬ぞりはあったのですが、イギリス人のスコットは、「犬がかわいそうだ」との理由で極点への旅には使用しなかったのでした。
アムンゼンは犬ぞりに乗って、歩くもことなく南極点をめざしました。途中で帰りの食糧などを置き残して行きます。すると荷が減るので不要になった犬を殺して、帰りの犬のエサにするために雪に埋めて行くのです。アムンゼンは犬を使役し慣れたノルウェー人でした。
氷点下数十度ともなると橇の摩擦でも雪は融けず、砂の上を引いて行くように骨が折れます。それを人力でひいて二千キロ。食糧は尽きていなかったのにスコット隊の隊員たちは弱って行きました。彼らの食糧は一日あたり四千キロカロリーと割り当てられていましたが、実は後日の研究でわかったことは、氷点下数十度の寒さの中、橇を引いて歩く重労働には一日七千から八千キロカロリーが必要なのでした。
アムンゼンはひたすら南極点を目指し、そこに到達することだけを目的にしました。しかしスコット隊は困難な旅のあいだ、日々気象観測や地質調査を行ない、綿密な記録を残したのです。
彼らがその困難な旅の間、最後のキャンプまで運んできた岩石の標本がありました。それはグロッソプテリスという、2億5000万年前のシダ植物の化石を含んでいました。その植物はオーストラリアでも見られるので、かつて南極大陸がオーストラリアとつながっていたことの証明、つまり大陸移動説の根拠の一つとなったのです。
登山家で極地研究家の加納一郎さん(1898-1977)は、ナンセンなどの極地探検家の手記を翻訳した方ですが、「世界最悪の旅」ではスコットの日記の引用部分だけを、なぜか文語体で訳しています。その最後の一文……
「遺憾千万のことなれど、もはやこれ以上書きつづけ得るとは思われず。願わくはわれらの家族のうえをみまもりたまえ」
彼らが力尽きた最後のテントの上に雪のケルンを築いて、彼らの墓は築かれました。その上に立つ十字架は今でも見られますが、氷に乗って徐々に海に近づいているそうです。
A・チェリー=ガラード「世界最悪の旅」,加納一郎訳,加納一郎著作集第5巻,(教育社,1986年)