サーカスの象と冬のホットサンド
サーカスの象の話を聞いたことがあるだろうか。
小さな頃から鎖につながれて育った象は、大きくなってその鎖を簡単に引きちぎることができるだけの力をつけても、逃げることはないという話だ。自己啓発的な本ではよくこの象のエピソードを引いて「過去のできなかった記憶に引っ張られて、自分はできないと思い込んでいる。でも実はできるのかもよ、やってみようよ」というストーリーが導かれる。こんなのはお話のなかのことで、実際には太い頑丈な鎖でつないでいるのかもしれないし、「実はいけるのでは!?」と考えて、ブチッとやった象もいたかもしれない。真偽の程は定かではないが、この話を聞くたびに私の脳内には冬の曇天の下、じっとたたずむ象の姿が想像されるのだった。赤や黄色のテントも見ないで、ピエロにも関心を示さないで。
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行ってみたい、と思い続けて4年が経った。渋谷は並木橋近くにあるサンドイッチ店のことである。ある記事に出ていた写真と文章が素敵すぎて、何度も何度も眺めては「なんて素敵なんだろう」「どれほど美味しいものなんだろう」と思いを募らせた。距離的には、思い立ったら30分もあれば余裕で行ける場所。しかし、実際に訪れるまでにはなんと4年の月日を要したのである。
仕事が詰まっているから。ダイエット中だから。デートの待ち合わせに使うには遠いから。ちょっぴり贅沢なランチだから。まあさまざまな「行かない理由探し」をし続けて4年が経った。特に仕事という理由は訪問を踏みとどまらせるには大きな効果があった。今はゆっくりしていられる時期じゃないから。今は楽しむより頑張らなくちゃいけないから。そんなことを考えて、願望を叶えることを先延ばしした。こういうことを続けていると、自分が何をしたいのかわからなくなってくる。ちょっと時間が空いたとしても「やらなければいけないことをやらなければ」と思ってしまう。そして「わからない」という気持ちはじわじわと日常を浸食して、未来への期待や希望すらもぼんやりとした霧のなかに追いやってしまうのだ。
「できなかった」という記憶がなくても、自分は自分を、サーカスの象にすることがある。
打ち合わせ続きの冬の日、ランチは絶対ここと決めて家を出た。本当はちょっと長居できるカフェで原稿を書かなくちゃなんだけど――と思う自分にストップをかける。そんなのは、食べたあとに別の店に行けばよいのだ。もう自分をサーカスの象にするようなことはやめるのだ。
打ち合わせは予定よりも早く終わった。ランチタイムにはちょっと早い時間だが、何度も前を通っては見送ったガラス扉に手をかける。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。今までは通行人として見ていた風景は窓のむこう。4年越しのサンドイッチの味は、それはそれは格別なのだった。サーカスの象も、いつからだって、生き直すことができる。
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