初恋を口ずさみながら
浅い夢だから 胸をはなれない(村下孝蔵「初恋」の歌詞より)
昔の話をしよう。
夏の夕暮れどきのベランダで、恋人と音楽をかけあってウイスキーを飲んだことがあった。お互いのスマホに入っている曲を次々と再生しては一緒に口ずさんだり、しんみりと聴き入ったり。夕方を過ぎたベランダには秋の始まりを感じさせるひんやりとした風が吹き、厚い筋肉に覆われた彼の肩の向こうにはあんず色の夕焼けをバックに、富士山のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。ふと、会話がふっつりと途切れて、甘やかなメロディだけが流れていく。その沈黙を破ったのは彼だった。
「この曲、好きなんだ」
再生されたのは村下孝蔵の「初恋」。私も好き、といって一緒に口ずさんだのち、なぜこんなにも切なくなるんだろう、と互いに詞を考察しあったりした。あんず色の夕焼けはいつしか、とっぷりとした闇に変わっていた。
それからいくつもの昼と夜が過ぎて、私は別の恋人とまた音楽をかけあって部屋でお酒を飲んでいた。ボンベイサファイアのジントニックを前に、次々と音楽をかけていく。「この曲、好きなんだ」と言って彼がかけたのは、奇遇にもまた「初恋」なのだった。
古びない曲だよね、と言うと、恋人は「誰もが胸のなかにある情景だからじゃないかな」とつぶやいた。どこか遠い目をしていた、でも気づかないふりをした。
さて、この話のオチといえばどちらの恋人とも、曲を聴いた直後に別れたということである。自分から切り出したのと、相手から切り出されたのと両方あった。ただ私は、どちらの恋人の胸のなかにも、忘れられない人がいるのを知っていた。まだ傷は癒えておらず、生々しいまま「初恋」を繰り返し再生するかのように胸を離れないでいることを。
私もかつて、長いあいだ思いを引きずっていた人がいる。誰とお付き合いをしても、心のどこかでその人を待っていた。当時愛読していた清原なつのの「カメを待ちながら」という短編にはいたく共感した。恋人と戦争で離れ離れになった女性(カメさん)が、結婚して伴侶を得てもずっと彼を待ち続けたというストーリーだ。老境に差し掛かる頃、夫は「カメさんが待ってる人 はやく現れないかな」とふと口にする。夫は結婚式の三三九度のときにすでに、彼女の心のなかにいる別のひとに気づいていたということだ。そしていつしか、一緒に待っていたというのだ。そうした美しい話に胸を打たれつつ、私は目の前にいない誰かを思っては恋人たちの心を傷つけていたのだろうと思う。身勝手な話である。
「初恋」のメロディをともに口ずさんだ彼らと一緒に、待ってあげればよかったのだろうか。胸を離れない浅い夢を、尊重してあげればよかったのだろうか。今でも思うけれど、でもきっと問題はそこではないのだろう。自分で経験したからわかる、思い出ばかりはどうにもならない。それを知っていてもなお別れを選んだのは、私という人間が、ただ未熟であっただけなのだ。手を伸ばしても触れられない誰かじゃなくて、目の前の私をちゃんと好きでいてよ。私を見て、私の名前を呼んで必要だと言ってよ。そう言いたくなる欲望に、負けただけの話なのだ。大好きだった、それでも。
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