東京の街
「いい曲だと思って誰かなーって調べると、だいたい”くるり”なんだよね」
某クリエイターの方が、インタビューの中で冗談交じりでそんなことを言っていた。でも、あながち間違っていないなぁと思ったりする。”くるり”というバンドの奏でる音と声、歌詞はストンと心に落ちるものがある、と個人的にも思うからだ。
”くるり”を紹介をしたいわけではないのだが、春になると聞きたくなる曲がある。それが、”くるり”の「東京」という曲。
『東京の街に、でてきました』
こんな歌詞で始まるこの曲を聴くたびに、社会人1年目の自分の姿を思い出してしまう。
東京の街に、でてきたかった。
地方都市で育ったけれど、祖父母のいる東京のほうが断然好きだった。社会人になるときは、絶対に就職先は東京を選ぼうと決めていた。心残りがあるのも嫌だったから、当時お付き合いをしていた方とも別れて就職活動に臨んだくらいだ。今思うと、なんと自己中な判断! 若いって怖い。
就職活動はうまくいかなかった。地方の私立大学で、何の目的もなくアルバイトにあけくれていた私に、社会はそんなに優しくなかった。だから、東京勤務で転勤のない会社に内定をもらったときは、迷わずそこに決めた。やりたいか、やりたくないか、そんなことは二の次だった。
東京で初めて暮らした家は、親戚が紹介してくれたワンルームの狭い、古いアパート。コンビニとチェーンの居酒屋しかない、都会のど真ん中ともいえる無機質なオフィス街にあったそのアパートは、階下の住人が帰ってくるとアパート全体が揺れるような建て付けだった。洗濯機は外にあって、トイレとお風呂は一緒。ガスコンロは1つだけ。夏は暑くて、冬は寒い。女性が住んでいるようには見えないから逆に安全だと、父はわけのわからない納得をしていた。母は、何度も「いいの?」と聞いてくれたけれど、家が決まらないほうが不安だったし、なんだか紹介を断れる気がしなくて、ただただ頷くだけだった。世間しらずだったのだ。
その家も、その町も、引っ越しもすべてが他人事のようにしか映らなかった。現実感は、まるでなかった。そう、本当に全て他人事だったんだと思う。
仕事は、案の定というかまったく馴染めなかった。入社した会社は小さなシステム会社で、新卒をとるのは数年ぶり。まわりはみんな年上の男性で、仕事がおわらないと徹夜をしている人もけっこういて、お世辞にも環境はよいとは言えなかった。誰も一言も話さない。カタカタとキーボードを打つ音以外、なんの音もしないオフィス。日中は渡された分厚いシステム入門の本読む以外、することがなかった。定時後にマンツーマンの研修が毎日遅くまであったけれど、ゴリゴリのエンジニアである上司の言ってることが、まったくわからない。今思うと、あの上司もきっとつらかったと思う。パソコンにもシステムにも興味がない、つかえない新人が入ってしまって。
だけど、人のことを気にする余裕なんてなかった。あんなに渇望した東京の姿はそこになくて、毎日ただ追われるだけで、そもそも私はなんで東京にでてきたかったのかすら、わからなくなっていた。大手の会社に入社した友達の、華やかな話を聞くたびに胸がキリキリした。食べ物の味はしなくなっていた。それでも、泣きながらでも会社に行った。負けたとは思いたくなかったのだ。
東京の四季は、実家のある東北に比べてサイクルが早く感じる。
桜が散ったと思ったら、あっという間に梅雨の気配を感じる空気に街が包まれる。
遅刻した! そう思って目が覚めて、飛び起きた。外はやっとうっすらと明るくなってきていた。時計をみて、休みだったことを思い出す。ふっと、台所が目の前にある小さな部屋を見渡したときに、何かがプチンと切れた音がした。気づいたときには、実家に向かう新幹線に乗っていた。
駅まで迎えに来てくれた両親は、突然帰ってきた娘に、何も聞かなかった。
今も、新幹線からみた、鮮やかな新緑を覚えている。駅に迎えてに来てくれた両親の顔も。でも、何をして過ごしたのか、まったく覚えていない。
日曜日の夜。やっぱり帰る。そういうと何も言わず、駅の改札まで送ってくれた。
いつものように改札前まで、父が荷物を持ってくれた。食料がいっぱいはいった紙袋をだまって受け取ると、電車の到着を知らせる電光掲示板を見上げる。
「もう、頑張らなくてもいいんだからね。」
そのとき、母が唐突にそう言った。そして、母の目から涙がポロリと落ちた。東京に就職を決めたときも、引越ししたときもあっさりと送り出してくれた両親が、泣いていた。
大丈夫、頑張るよ。とは言えなかった。かわりに、涙がとめどなくこぼれていた。
東京に戻って、しばらくして会社を辞めた。新聞で読んでいた、すぐ辞める新入社員に自分がなったことがショックだったけれど、それでも前をむくしかない。もう一度、就職活動をして、新しい職場を東京で見つけた。
そのあとも、笑えないようなことがたくさんあった。だけど、全部自分のことだと、現実なんだと向き合ったときから、東京は居心地がいい場所にかわっていった。
2年後、引っ越しをして、東京であったかい街を見つけた。毎晩、楽しくお酒が飲める仲間もできた。酔っぱらって帰る道が楽しくて、東京の街が同じようにやっぱり楽しくて、いつの間にか離れられない場所になっていた。
東京でみる、14回目の桜。
新しいことに挑戦するときは、いつだって新人。スタートした後の走るスピードは、人によって全然違う。競う相手は自分だけ。自分に責任をもてば、いろんな可能性がみえてくる。やっと、そう思えるようになった。
今も、両親は改札まで送りにきてくれる。あのときよりも、歳をとった両親と、歳をとった娘。だけど、今は笑顔で手を振れる。
「東京」の歌詞に、こんなフレーズがある。
『駅でたまに、むかしの君が懐かしくなります』
春になると、あのときの自分がどこかにいるような気持ちになる。ちょっと不安げで、でも背伸びをしていて。ちょっと愚かで、でもまっすぐ前をみている自分。見かけたら、そっと手を握ってあげたい、そう思う。
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