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ポルノグラフィティ曲たちと私の人生について



もうlove up!に入会して18年が過ぎ、
もうすぐ19年目に入ろうとしているところです。

あけましておめでとうございます。
これからも変わらず応援し続けます。
今年もよろしくおねがいします。



こんなに長く応援しているから、私の人生にはポルノグラフィティの曲たちが寄り添ってくれてる、と言える。

具体的には、多分高校生くらいからだろうか、ポルノのCDやらアルバムやらは、ほとんど発売日に手に入れてきたから

それを初めて聞いた場所、タイミング、その時の気持ち、その時期に悩んでたこと、頑張っていたこと、がなんとなく曲とともに頭に残っている。

それはライブに参戦してきた記憶も同じで、こんな気持ちでバスに乗っていたなあとか、前後にこんな予定があるのにライブ参戦を決行したなあ、あれは若気の至りであり、あの頃のバイタリティはすごかったなあとか。

このライブの前にあのひとと桜を見に行ったなあとか、
このライブの後にあのメンバーで集まってご飯を食べに行ったなあとか。

泣きそうなときにこの曲を聴いて、あえて思いっきり泣いてみたり
何かの発表の前は、発声練習代わりにこの曲を車で大声で歌ってみたり
しんどい時に大音量でこの曲を聴いて、もうひと踏ん張りしてみたり



初ライブの一曲目、幕がパーンと降りた瞬間に、昭仁さんと晴一さんがいて、一緒に参戦した友達と顔を見合わせてふたりして(ポルノこの世に存在してたあああ)と大号泣したのも覚えている。3曲目くらいまでそんな感じだった。


それから、大学の長期休みを使って3週間程度、県外でインターンシップをしていた頃。

出発の日が、あるシングルの発売日で、それを買ってから飛行機に乗った。田舎の方でのインターンだったから、車を借りていて。
CDを車のオーディオに入れっぱなしで、繰り返し繰り返し、気が付けば飽きずに3週間聴いていた。(でも新曲ってそういうもんだよね)

ただどうやら、その3週間、楽しかったしいい体験だったけど、緊張しまくっていたのか、気を張っていたのか、さみしかったのか、すごく大変だったようで。

実は今でもそのシングルに入っている3曲はすこし苦手だったりする。
なんというか、普通に明るい曲なのに冬の物寒しい、さみしい気持ちがせりあがってくる。ライブで聴くのは全然平気なんだけど。

(苦手な曲を増やしたくなくて、病みまくってたしんどい時期には一時、ポルノを全然聴いていない時期があった。)(その頃は、ライブツアーの予定が発表された後とか、どこの公演に行こうか迷ってるときとか、飛行機と宿の手配をしているときとか、どのグッズを買おうかワクワクしているときしかポルノは再生していなかったなあ)

(だから、暁の公演はほとんど曲を聴かずに行ったんだ、ライブから帰ってきてからめちゃくちゃアルバムを聴きこむという珍しいパターンだった)(でもあのライブは本当に行って良かった)



そういう感じだから、ポルノグラフィティの公式サイトのDiscographyが、もはや私の年表になっていると言っても過言ではない。(過言かもしれない)

「自宅にて」の中でだったか、以前に晴一さんが言っていた気がするのだけど、「曲たちが俺たち(ポルノ)の手を離れてもう誰かのものになっている感じ」ってこういう感じなのかな、と思う。

なんだか、曲がどう、とかいう以前に、思い出補正が強すぎて、それによって曲の好き嫌いがあったりするのはなんだか申し訳ない気がする。ほんとに曲聴いてる?と思うだろうか。惰性で推している?とも取れるだろうか。

そんなことはないんだと声を大にして言いたいけれど、…言っていいのだろうか。



…でも、病んでいるときでも、アルバム曲をほとんど聴きこんでいなくても、ライブ会場に行きさえすれば、私は楽しめる、少なくともすこし胸を張って、前の方を向くことが出来る。腕を振り上げて、跳ぶことが出来る。時節柄、叫ぶことは出来なかったけど。

それはたぶん惰性とかではなくて、ポルノと私のこれまでに対しての全幅の信頼ではないかな、と思ったり。




もちろん、それぞれの曲自体も、好きな曲があったり、歌詞に共感したり、助けられたり、背中を押してもらったり、そっと寄り添ってもらったり、明るく引っ張り上げてもらったり、インタビューを読んでこの主人公にはこんな背景があるのかなと思いを馳せてみたり、MVに爆笑したり、ジャケットに爆笑したり…

最近は、SNSやらファンクラブやらでファンの方を向いた発信が多いなと感じていて、それもすごくうれしくもある。

必死に前を向いて走ってくれていたふたりが、ふと振り返ってくれたような感じ。

ふたりの人柄も含めて、やっぱりポルノグラフィティ、総じて好きだ。




何が言いたかったかというと。

だから、これだけ私の人生にポルノグラフィティは癒着しておりますので、今更、飽きたりとか、見放したりとか、しませんよ晴一さん。ということ。

これからも、私の人生には寄り添ってもらう予定でいるので、おふたりには自分たちのペースで、好きな場所で、自分たちの創りたいものを好きなようにつくっていってほしいなあ。

でも強欲な私もいるもので…

時々、この間の忘年会ラジオみたいに声を聴かせてくれたらうれしいなあ。SNSでの近況報告も嬉しいなあ。

アルバムとかライブツアーの発表まだかなあ。
30周年の東京ドームも楽しみだなあ、
また因島ロマポル、やってくれないかなあ、なんて。