澱んで腐ってる場合じゃない
卵の、黄身と白身を分ける作業のようなこと。
純粋な私と不純な私、ということになるのか?
ぶっちゃけ、どちらも「私」だ。
どちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。
全部を「私」としたうえで
どちらを選んでいくのか。
それだけのこと。
どちらの自分でいる時間を増やすのか。
どちらの自分でいたいのか。
決めるだけのこと。
まず、私が捨てると決めたのは…
澱むということ。
心地よい流れの中に、身を置きたいと思うから。
緩急あっていい。
立ち止まってもいい。
ただ、澱んで腐ってる場合じゃない、ってこと。
これはかなり抽象的かもしれないけど。
澱んで腐ってる場合じゃない
そう自分に発破をかけることで
自分の心地よい流れを自ら作るキッカケになる。
いきなり全てにおいて、うまくやろうとすることはない。
練習、練習。