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都会での子育てとその意識
先週末、近所の公園で、保育園のお友だちKくんと遊んだ。現在進行形で、街全体の再開発が進んでおり、その公園もすでにきれいに整備されたエリアだ。お互い習い事等予定の合間の数時間だったので、当初は「お散歩しましょう」という軽い話で、こちらは手ぶらで出陣した。
しかし、いつもはのんびりな雰囲気のその公園が、フリマ会場となっており、到着した時点ですでに人混み。そして、ずっと中止されていた噴水が復活しており、子どもたちがその周りの池で遊んでいる光景が目に入った。
外遊び慣れしているKくんは、まず持ち物が違った。ママが抱える専用の大きなビニール製の袋には、シャボン玉、サッカーボール、風船、砂場グッズ。恐縮しながらもそれらを貸してもらい遊んでいたが、やがて我が子たちも、もれなく水遊びへと突入。結果的に洋服、靴まで濡らすこととなった。
帰り道の心配が頭をよぎる中、それ以上に考えさせられたことがあった。Kくんは、両親の田舎が地方にあるそうで、遊び方がとても大胆だった。噴水にも飛び込んでいき、即全身水浴び状態。草むらにもどんどん入っていき、引っ付き虫だらけで戻ってくる。一方、慎重派な我が子は、水に入るのもまずは足から、水温を確かめながら徐々にといったかんじ。草むらに入ることなどまずない。つつじの花の蜜が吸えることも、Kくんが教えてくれた。私も小さい頃に経験した記憶があるが、都心の道端に咲いているそれを手に取り、蜜を吸うことなど、子どもに教えようとは思いつきもしなかった。
そして何といっても声がけだ。Kくんママと私の声がけの違いは明らかだった。はじめこそ、お互いに「着替えないよー帰りどうするのー」と言っていたのが、Kくんママの諦めは早く、むしろ周りの子への気遣いをはじめ、あとは見守るといった姿勢。私はといえば、アドラーで勇気づけを学んでいる端くれとして、普段子どもへの声がけは気をつけているつもりなのに、「そっちの池まで行くはやめてー」だの「気を付けてよー」だのを連発。自身がいかに「禁止」している発言が多いかに気づかされた。
はっきりいって準備不足。これが、着替えやタオルの準備ができており、想定内の行動であらばまた対応も違ったのかもしれない。しかし、何かの植物の長い蔓をビニール袋の持ち手に引っ掛け、風を切って走るKくんと、サッカーボールを蹴りながら、後を追い掛ける我が子の背中を見ながら、私は子どもが泥だらけになる体験を、これまで一度もさせたことがないということに気づかされたのだった。都会のキレイなところだけ、整備されたキレイな場所で、できるだけ体も服も汚れない遊びをー。
真夏のように暑い一日で、気力も体力も消耗しつつある中で、都会での子育てという狭い世界に留まってしまうことで、もう既に失っていると思われるものの大きさを痛感すると共に、自然の中での田舎生活への憧れも、一層膨らむ出来事でした。それにはまず、母である私が、その片手を塞いでいる日傘を手放さなければならない。母が紫外線を気にせずできる外遊び、ないかな。