いままでのこと⑧NPOで働いてみた
元気になったらやりたいこととして、手術後のライブ参戦、そして植林ツアー参加と、順調にやりたいことを実現していくなか、身体もどんどん回復していきました。
そして次のやりたいこと!
、、、と考えたのですが、これといって特に見つかりません。
なのでとりあえず、行きたいところ、会いたい人、手当たり次第、興味あることをやってみることにしました。
ありがたいことに、南アフリカ植林ツアーで全国各地に友だちが出来て、みんな個性的で面白い人ぞろいだったので、行きたいところ、会いたい人はたくさん。
そのうち、南アフリカ植林ツアーを主催しているNPOのイベント撮影の手伝いをするようになり、その流れでNPO職員に転職することになりました。
そのNPOはいろいろなプロジェクトをやっている団体だったのですが、わたしは映像部として、ドキュメンタリー映画制作に携わる予定でした。「医療の常識を覆す」というテーマで、病気はお医者さんに(受け身で)治してもらうものではなく、たくさんある治療法のなかから自分が選んで、自分で治すという気持ちに勝るものはない、という内容でした。
わたしは自分がこんなにも早く元気になれたのは、元がん患者さんの体験談のおかげだと感じていたので「絶対やりたい!」と思う仕事でした。
当時はバンダイで働いていたので、引継ぎ期間なども含めて半年の猶予をもらい、2011年夏ごろに転職する予定でした。
が、NPOに転職が決まった数日後、2011年3月11日。
東日本大震災が起こりました。
その日わたしは、浅草にあるバンダイ本社ビル別館で仕事中。
東京もものすごく揺れて、階段の踊り場の壁にヒビも入りました。
電車が止まったので家にも帰れず、会社に泊まって毛布に包まり、机の下で一晩過ごしました。
そんななか、転職する予定だったNPOは被災地支援に入ることになり、わたしは夏予定だった転職時期を早めて6月からNPO職員に。
制作予定だったドキュメンタリー映画は一旦保留となり、福島を中心とした親子を夏休み期間中、北海道・洞爺(とうや)に招くプロジェクトのスタッフとして、洞爺に住むことになりました。
このプロジェクトでもたくさんの出会いがあり、嬉しかったこと、悲しかったこと、やるせなかったこと、悔しかったこと、たくさんたくさんありました。書くと長くなるので書きませんが、
「ボランティアって何なんだろう」
「相手が本当に求めていることは何なのか」
「知らずに傷つけているのではないか」
たくさんたくさん考えさせられました。
そして、映像が持つ力、そしてその「怖さ」も知りました。
それはまた、ちょっと長くなるので次回につづく。。。
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