文体性格診断
小説とかエッセイを書くとき、文体に書き手の人となりが表れるというのはまさにその通り。人によってしっくり来る書き方というのがあるんだろうし、そこにはそのままその人の頭の中の整理の仕方がそっくり映し出されているものだと思う。そうなると自分の文体とか文章の癖がどんな風なのか、気になってくる。
そこである親しい人に日記とか書評とかを読んでもらって、「俺の文章ってどんな特徴があるの?」と聞いたら、「感情を表す表現が簡潔で、心情を客観的に表現する癖があるね」と言われて確かに〜!!って思った。たまに自分の書いたモノを見返すと、日記にしてはロジカルな文章を書いているなあと思っていたし、心情の直接的な吐露がほとんどない。そう思うと自分の文章が味気ないような気がして、もっと柔らかい文章を書いてみたくなった。
それで1回、なんとか主観的な感情を交えて書くぞ!と決意して日記を書いたけど、やっぱりどこか嘘くさくなってダメだった。一度抽象的な世界に引き上げられた思考が、もう一度無理やり具体的な世界に引きずり下ろされている感じがして、ぼやけていた。
やっぱり俺は自分の感情を逐一分析に付す癖があるからそういう角度でしか表現も出来ないんだろうし、それがとても寂しい気がしてしまう。逆に、自分の心情を冷めないうちに直接に表現出来ている文章を見ると羨ましくもなってしまう。
どうして寂しいのか羨ましいのかと言えば、感情アツアツの文章の方が、人間くささが滲み出ていて、こちらもホッコリするし、俺が好きなのはそういう文章だから。俺の日記みたいなヒエッヒエの文章は、説得力はある(日記に必要なのか?)かもしれないが有機性に欠けるし、豊かじゃない気がする。アツアツ文章に憧れはあるが自分では生み出せないし、したくてもそれを出来ないのは、俺が言語化以前の自分の感情のことを見失っているからかもしれないね。
そんなこんなで結局俺ってヒエッヒエだな〜というこれまで通りの通説地点に綺麗に着地した後に、やっぱり自分のことはあまり好きになれないな〜とも思い、これ以上深入りしてはいけないという気にもなり、さっさとコンタクト外して風呂入って寝よ、となりました。現在深夜の1時17分。
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