感謝の気持ちが溢れる時・・・
今回の帰省、かなり悩みました。
第7波が大きくなってるということで・・
でも、いつまで我慢し続けるの?
完全に安心なんて日はきっと来ないし、そうなるのを待っていたら一生会えない・・・
冗談ではなく本気でそう思ったので、帰省することを選びました!
出発の日は平日だったので、夫は出勤のはずだから、おうちで朝「行ってきます!」「行ってらっしゃい!」って言ってお互い見送りお別れかなーと思っていたのですが、
前日に夫から「明日は午前中休みにしたから!送っていくね」と!
おぉ、そうだった、この人はこういう優しいところがある人だった!
と、全く相手に期待していなかった自分を反省。
(つまり、この人は私たちのために休みとってくれるようなことはしないだろうと思っていたと言うことなので)
私は私の周りにある優しさや愛を過小評価してたんだなぁ、そして、私自身に対しても。
私にはそんな価値がないって言ってるのと同じことだもんね。
今回の帰省だって、行けること、いかせてもらえること、当たり前のことではない。
行っていいよ、と言ってくれて送り出してくれる夫や、来ていいよ、と言って迎えてくれる実家の両親のおかげ。。。
実質専業主婦の私はこの帰省のために私からは1円も払ってないんです。
それでも飛行機に乗れる、
迎えてくれる家と人が居る、
ご飯を食べさせてくれる人が居る、
って、本当に有難いことだなぁって。
そんなことをしみじみと感じて、感謝が溢れ、飛行機の中でうるうる。
あぁ、感謝って、満たされているとこんなふうに溢れてくるんだなぁ〜
と、感謝に浸っていたのですが、
でも、待って?
私はこれまでも、いつも満たされていたはず・・・
私は普段からやりたいようにやってるし、
欲しいものも買って、
好きなことをして、
生活費も困ることなく夫が全部出してくれてて・・・
何の不満もない状態で満たされた状態なのは、今日に始まったことではなく、今までもずっとそうで、日々感じているんですよね。
なのに、今日は特別うるうるしてしまうほど感謝が溢れていて、
普段は、感謝を感じていても、うるうるくるほどではない・・・
その違いって何だろう??と思ったのです。
そして、飛行機の窓から外を眺めながら出てきた答えは・・・
「100%全部受け取れたかどうかの違い」
何かをしてもらったり、与えられていることを感じた時に、そのことをただ純粋にまるごと受け取れてるかどうか?
じゃあ、まるごと受け取れる時と受け取れてない時の違いは?
それは、罪悪感があるかないか。
その違いかな、と思いました。
私は稼いでないのに、ご飯食べさせてもらってごめんなさい
とか、
好きなことばかりしてごめんね、
など・・・
それが少しでもあるときは、与えられたことをまるごと受け取れてない・・・
感覚では半分くらいは受け取らず横に置いてしまってるイメージです・・・
口では「ありがとう!」と言いつつ、「自分はこんなにしてもらえる器じゃないのに全部もらったらダメだよね」って、勝手に自分の中で受け取れると思ってる分だけ受け取ってあとは置いてくる。
そういうことが起こってると思います。
じゃあ罪悪感を持たずに、人や出来事からの好意や幸せや豊かさを受け取れる状態になるにはどうだったらいいの?と言うと、
それは、自己受容できてるかどうかってことになってくるかと。
自分のことを受け入れられてないと、なかなか、物事を自分のためのギフトだと思って真正面から全部受け取るってことはできないんですよね。
自分のことを受け入れ、自分にはそれを受け取る価値があると信じ、それによって幸せになってもいいよと自分に許可できるかどうか。
それがポイントなのかなーと思いました。
やっぱり自己受容・・・
もし自分のことを受け入れ、信じ、自分が今すぐ幸せになってもいいんだよと許可をして、全てのことを100%受け取れていたら、
きっと、毎日与えられていることに感動し、喜びと感謝が溢れ、うるうるしてばっかりで嬉し泣きしっぱなし・・・そんな毎日になる、と思ったり・笑
そんなことを感じた旅の始まりでした☆