人生をデザインする
サッカーが楽しい、学校も楽しい、友だちもみんな大好き。
アメリカでの生活は順風満帆のようでしたが、その終わりはある意味私らしいというか。単刀直入にいえば、最後の試合は膝の怪我で出場は叶わず、リハビリ期間中に原因不明で半年近くも膝が曲がらなくなりました。
卒業後を見据えて、ドラフトに名前をいれ、シーズンにスムーズに入っていけるよう卒業も冬にずらし、ヨーロッパのチームも考えてフロリダで行われるコンバインにもエントリーしていた矢先の出来事でした。
ドクターによってまったく違う診断をされたり、そもそも原因がわからなかったり、効果が見込められないと治療を受ける前に帰されたり。昨日まで普通に曲げられていた膝が急に固まり、わくわくしながら"これから"を想像していたものから一転、もう二度とスパイクを履くことはないかもしれないと、絶望の淵に突き落とされました。
そんなとき、一番近くで支えてくれたのがチームトレーナーのマイクでした。"せりなからサッカーがなくなるなんて考えられない"と、クリスマス休暇も返上し、年末もぎりぎりまでリハビリやドクターアポイントメントに付き合ってくれました。
リハビリといっても、そもそもの原因がはっきりしていないため、できることと言えば膝が完全に固まってしまわないようにすることのみ。ホットパックで膝を温め、マイクが30分ほどかけてようやく90度ほどまで曲げた膝をバンテージでぐるぐる巻きにしてしばらく固定。
言葉で言うととてもシンプルですが、全然動かない膝を相手にマイクは汗びっしょり、私は激痛から涙でびっしょり。バンテージをとったその瞬間から膝も固まり、全く先が見えない日々でした。
トレーナールームに行くとマイクが顔を隠すようのタオルを渡してくるのが習慣化してくる頃になっても、症状は一向に改善せず、卒業式は曲がらない膝にヒールで登壇。大雪で午後に式が延期され、どこかでうっかり落としてしまった真っ白なタッセルをひょこひょこ探し続けたことは、今ではいい思い出です。
卒業後も変わらず、マイクはリハビリや原因解明のためのリサーチを続けてくれました。最後の頼りと、マイクが調べてきてくれたドクターに処方してもらった薬を服用し始めて1週間ほど経った日の朝、いきなり膝が動くようになり、それから2週間ほどでボールを蹴れるまでに一気に回復しました。
あきらめていたトライアウトも1チームだけ、準備期間ほぼゼロではありましたが挑戦し、最終メンバーまで残りました。ちょうどトレードで最後の外国人枠を埋めた直後のタイミングで、残念ながら契約には至りませんでしたが、とにかくもう一度思い切りボールを蹴れるようになれたことが本当に嬉しかったのことを覚えています。
左手首にテーピングを巻いて試合に臨むのがルーティンですが、これはまだ在学中のころ、"もう怪我しないように"とマイクが巻いてくれたその試合でゴールを決めてからずっと続けてきています。
選手としての価値で一番はっきりとしているのは、パフォーマンスや結果であることには間違いありません。しかし、選手のキャリアを通じた出会いや経験、そこから得た想いなど、そういったものが積み重なって為される選手の生き様。本当に心に残る選手というのは、周りの想いなどのようなエネルギーを自分のものとして取り込み、それを持ってさらに周りを魅了できる、そんな人物だと思います。
映画や小説のような物語の最後、主人公たちの歩んできた道をまるで自分のものであるかのように感情移入している瞬間に気付くことがあります。それと同じことを、いかに自身の人生という物語で突き詰めていけるか。パフォーマンスは言わずもがな、人間としての部分というものをより求めていく必要性を感じています。