ばーちゃん、ドイツ行ったん?
サッカーを始めたきっかけは?という問いかけに、友達がとか、お兄ちゃんがというのが一般的かと思いますが、私の場合は祖母と答えます。
私が小学生のとき、祖母が全国大会で優勝し、ドイツに行って海外のチームと対戦した経験を持つことを始めて知りました。当時の私にとっての世界は完全に未知の領域で、どんなすごい選手やチームの話を聞かせてくれるのかと楽しみにしていたのですが、祖母は試合後のビールとソーセージ以外はよく覚えておらず。(笑)
高校にあがって、アメリカの女子サッカーの環境のよさなどの話を聞いた時でさえ私の中では咀嚼しきれず、この当時も私自身が海外でサッカーをすることになるなんて想像もできませんでした。それでも、1シーズンという短期間とはいえ、"せり、あんたもいつか行ってみんさい"という祖母の一言が私をブンデスリーグまで導いてくれたように感じます。
父が小学生のころにサッカーを始めた事をきっかけに、"子どもがやるならうちもできんといけん" という謎の理由でママさんサッカーを始めた祖母。数年前に股関節を手術するまでずっと現役でボールを蹴り続け、常に新しい世界を見せ続けてくれました。そんな大きすぎる祖母の存在のおかげで、広島では樫本芹菜ではなく、長谷川さんのお孫さんとして認知されることのほうが多いです。(笑)
“スフィーダのチームメイト、野村智美の祖母(写真右)と私の祖母(写真左)”
そんな祖母に連れられ、サッカーにのめり込んでいくことはごく自然なことでした。毎週金曜日に練習時間が近づくと、2階の窓で川向かいの小学校の照明がつくのを待ち、明かりがつくと、ダッシュで練習に向かっていました。実際には練習というより、若いお兄さんやお姉さんたちが遊んでくれていただけなのですが、"サッカーって楽しい" 単純な私のなかですぐにそんな図式ができあがりました。
小学校3年生の終わり、父に課せられたリフティングの課題をクリアし、(父はチーム関係者ではありません。笑)クラブチームに入団しました。バスと電車を乗り継いで通うのかっこいい、学区外に友達おるのかっこいいという理由で、父の知り合いがコーチを務めるチームを選択。理由は不純そのものでしたが、チームの指導方針やそこでの出会いなど、結果としてはとてもよい判断だったと思います。
入団後は私のサッカーバカぶりにも拍車がかかり、5年生にあがる頃には選抜なども含めて5チームくらいの練習を掛け持ちしていたこともあり、疲労骨折をしました。ギブスをするほどではなかったにも関わらず、全く療養しないからと途中経過でギブスをつけられ、それでも構わず走り回っていたので、いまでも骨はくっついていません。
あるときは大人に混じってフルコート、さすがに後半だけだったと思いますが、試合に出場して、体調を崩しました。それからは両親が強制的にコントロールしてくれるようになりましたが、いまでもやりすぎの感覚がずれているので、最近は身体の感覚などを細かく言語化することで気をつけるようにしています。
復帰後には男子の選抜チームで揉まれ、所属クラブでは経験できなかったスタメン争いやコーチの熱い指導など、決して早くはなかったサッカーキャリアのスタートでここまでやれてこれている基盤はこの時期に出来上がったように感じています。
このとき実は女子選手が選抜に入ることに反対の声もあがっていたようですが、当時の監督がこれを跳ね除けてくれていたのでした。女子であることが原因で諦めなければならないこともありましたが、それ以上に地区トレセンでの経験やそこでのご縁などはかけがえのない財産です。