痛みのなかで見つけた幸せ。MYOBD設立者、マークの想い。
あなたにとって、サッカーボールとは何ですか。
Make Your Own Ball Day Japan Office事務局です。
Sunny発信でツイッター企画を開催させて頂きました。
非常に多くの反響を頂きました。皆さま有難うございます。
「あなたにとって、サッカーボールとは何ですか。」
一部紹介させて頂きます。
痛みのなかで見つけた幸せ。MYOBDの設立者、マークの想い。
Make Your Own Ball Day の設立者であるマークは現在、インディアナ州のサッカークラブで指導をしつつ、MYOBDの活動も続けています。
私が彼と初めて出会ったのは、夏休み期間中に開催されるButlerでのサッカーキャンプでのことでした。
どの年代のプレイヤーとも対等な立場で一緒になって楽しみ、どんなときでも明るくポジティブで、誰よりもその場を盛り上げる。
キャンプ参加者のこどもたちもあっという間にその人柄に引き込まれていました。
出会った当初は私の英語もさほどでしたが、そこはボールが私たちの言葉となってくれ、キャンプで働く前に他の友人たちも含めて一緒に自主練をしたりと、仲良くなるのに時間は必要ありませんでした。
そんなマークにとってサッカーは、彼をどん底に突き落とし、そしてまたそのどん底から連れ戻してくれた存在でもありました。
カンザスの有名クラブチームでプレーし、高校でもゲームメイカーとして活躍。将来を有望視され、Butler Universityへ進学しました。
しかし、順風満帆にみえた彼のプレイヤーキャリアはここから少しづつ狂い始めます。
入学1年目の年、股関節の怪我で満足にプレーできず、ピッチの外からチームメイトたちがプレーするのを眺めることしかできませんでした。
状況改善のために手術を決意。手術は無事に終わり、術後の経過も良好で、ずっと我慢してきたサッカーを再び心のそこから楽しめる日々が戻ってきました。
しかし、そんな日々が続いたのもつかの間のことで、2年目のプレシーズン3日目。
その日のトレーニングでは試合に向けた紅白戦が行われ、ロングボールがマークの頭を直撃します。
トレーニング前のミーティングで初めてスターティングメンバーの一人として名前を呼ばれた直後の出来事でした。
“脳が揺さぶられ、頭蓋骨にぶつかる感覚が伝わった” マークは当時をそう振り返りますが、残りの紅白戦はそのままプレーを続けました。
トレーニング後、トレーナーに脳震盪と診断され、頭痛がとれればまたプレーできるとも告げられました。
しかし、その痛みがひくことはなく、そのまま一度もピッチに立つことを許されないままシーズンを終えることとなりました。
また、問題はピッチ上のみに限らず、学業にも影響を及ぼしました。集中が続かず、読んだものの内容が覚えられない。
それでも彼は努力を続け、普段なら簡単に終わらせられるような学習もより長い時間を費やすこととなりました。
“サッカーがしたい” その想いが積もりに積もり、とうとう彼はトレーナーに嘘をつきます。
痛みは完全になくなった、完治した、だからサッカーをさせてくれ。
”今も多くのアスリートが同じようなことをやっていると考えるとそれだけで嫌になる” とマークは振り返りますが、結果として3年目にしてようやく初めてピッチに立つことができ、デビュー戦ではゲームウィニングゴールのアシストも記録します。
“まるで世界の頂点にたったような気分だった” マークは痛みを隠しながらプレーを続け、チームも開幕から順調に勝ち星をあげていました。
シーズン開幕から1ヶ月ほど経ったころ、ライバル校でもあるIndiana Universityと対戦。その試合中に相手の肘がこめかみに直撃してしまい、翌朝、試合の勝敗の記憶すらなく、チームメイトに確認して初めて敗戦を知りました。
これ以上真実を隠し通すことは不可能なところまできていました。”きっと治してくれる、そのための薬をくれる” そんな想いで訪れた専門医には無情にもドクターストップを告げられました。
プレーができなくなったあとも学校へは通い続けましたが、授業を受けても内容はまったく覚えておらず、部屋に戻ればベッドの片隅で頭を抱えすすり泣くマークをルームメイトが見つけ、ついには退学せざるを得ませんでした。アスリートとしての輝かしい人生から家で家族の帰りを待つだけのものに変わり、薬の副作用で夜も眠れず、うつ病の症状にも苦しむ日々が続きました。そんな彼の人生を変えたのは、あるカウンセラーの一言でした。
“今の状況で幸せであれとは言わない。だけど、どんな状況に置かれようと幸せをみつけることはできる”
その言葉を聞いたとき、家族にも隠し通してきた想いを初めて吐き出すことができました。”10年間も頭痛に悩まされてきたことはこれ以上ないくらいに最悪だ。心底嫌気がするし、1日1日が本当に最低だった。”
“それでも僕は素晴らしい人生を生きていると思う。毎朝目覚めて、小さな幸せにも気づくことができるから、なにをするよりも笑うことができるし、昔は当たり前で過ごしていたようなことにも幸せをみつけることができるようになった”
そこからは様々なことに挑戦し、Butlerに戻って教職員免許も取得しました。
慢性的な頭痛のため、教職につくことはできませんでしたが、それでも教室の外で子どもたちを導くべく、指導者としてサッカーを教える傍でMake Your Own Ball Day の活動を続けています。
そして2019年には彼の活動の功績が認められ、Butlerでは新しい専攻がつくられることになりました。(Butler Education Alumni Inspire New Major)
生徒たちのなかには若い世代を相手に仕事をしていきたいと願っても、それが必ずしも教職に就くということでもないという人もおり、この新しい専攻はそんな生徒たちのニーズに応えるべく誕生しました。
教室で子どもたちに教育を与える従来の方法とは異なりますが、マークの自身の持てる情熱を活かして子どもたちに接してきたことが、Butlerの学生たちの将来をも動かした瞬間でした。
マークの過去についてさらっとは聞いていたものの、多くの部分は昔の記事などを読んで知ったもので、改めて彼との出会いに感謝しています。
今回MYOBDの活動を日本でも広めるためのプロジェクトを立ち上げた理由として、もちろんこの活動が好きだというのも本音ですが、この記事を書きながらやはり一番はマークの人柄に惚れ込んだのであろうと改めて感じています。
記事内の写真も別段気をつけて選んだわけでもなく、普段からこの笑顔で誰とでも接するマーク。
彼のバックグランドを見返しつつ、世界を変えるという大きな目標であろうとも、彼にならできるのではとさえ思えてくる。”いつか日本でもMake Your Own Ball Dayをやろう” そう約束してから数年が経ちましたが、ようやくその約束を果たすことができ、日本の子どもたちに直接マークの言葉を届けることもできました。活動を支えてくれる全ての方々に感謝しつつ、ここからまた積み重ねていけるよう活動していきたいと思います。
Make Your Own Ball Day Japan Office