渡米までの道: 自分を変えたい、変えなきゃ
渡米のきっかけは、順心での2つの出会い。
一つは今もコーチを務められている、渡邊博尚さん。彼自身もアメリカの学校でトレーナーの勉強をしていた経験をもち、日本人離れした独特な空気感を持たれています。(今では私もチームメイトから外国人と言われますが。笑)
そしてもう一人が、私をアメリカへ引っ張ってくれた、エリース・エドワーズさん。エリースはアメリカ、スタンフォード大学の出身で、アメリカ代表候補プールにもはいっていた、まさに文武両道の経歴をもっています。エリスが現役の頃に日本のリーグでプレーし、引退後に少しだけコーチングをしていた際に渡邊コーチと出会いました。
エリースは人類学の教授で、授業で日本の文化を取り扱ったり、個人的に日本の女子サッカーを取り巻く環境などについての研究をしています。エリースはスカウティングを兼ねて渡邊コーチが指導する順心を訪れるのですが、そこで私も彼女と出会います。
入学したての1年生のときにアメリカの話を聞いても、一切ぴんとくるものはありませんでしたが、そんな私を変えてくれたのが世代別代表での経験でした。初めての国外遠征は高校2年時のフランス代表との対戦。当時センターバックだった私の予測を純粋なスピードで超えてくること、球際でのこだわりなど、卒業後も日本国内に止まることに危機感を感じました。
その後、アジア予選、W杯と経験していきますが、W杯期間中にスタメン落ち。なおさら自分を変えなければならないという気持ちに駆られていて、渡米しようとはっきり思ったのはこの時でした。
しかし、日本とアメリカでは入学の時期が違うため、私が進路を決めなければならない時期になっても大学側からは連絡がこず。一時期は渡米を諦めざるを得ない状況になり、国内での進学の道を模索し始めました。そんなかでも諦めず、最後まで大学にコンタクトを取り続けてくれたのが渡邊コーチでした。
渡邊コーチのおかげで大学側とも連絡がとれ、無事に奨学金のオファーをもらいましたが、このとき一度国内に残るヴィジョンを描いてしまっていた私はなかなか決断ができませんでした。渡邊コーチの頑張りや、私の見栄っ張りの性格を考えると、行かないという選択肢はそもそもありえないのですが、チキってしまった心を奮い立たせるための理由探しです。
そこで背中を押してくれたのが、昔の恩師の言葉と、私のサッカーへの想いでした。サッカーが好きだからうまくなりたいと純粋に思えていたことが、うまくならなければいけない、結果をだして周りの期待に応えなければならないと変わり、確実に余裕はなくなっていました。最終的には国を背負うなんて勘違いにもほどがある大きなことを考え、高校での大きな目標の一つでもあったW杯を不甲斐ないパフォーマンスで終えました。
試合の後にボトルを回収しながら涙が溢れてきたこと、ホテルで隠れて泣いていたところをセキュリティの人に見つかってハグで宥めてもらったこと。10年以上が経過した今でも鮮明に覚えており、当時の私にとっても行動を起こすには十分な経験でした。自分を変えよう、もう一度ちゃんとサッカーが大好きだと言えるようにと、渡米の決断を担任の先生や渡邊コーチに伝えました。
渡米に反対していた母と、渡邊コーチが引率してくれて、順心にもまだ在校中のタイミングで一度バトラーを訪れました。私はひどい時差ぼけでディナーのテーブルでも寝ながらカルボナーラを頬張った記憶がありますが、みんなが温かく迎えてくれたおかげで、母もすっかりバトラーのファンとなりました。母を連れて行くようにアドバイスをくれた父、そして引率を快く引き受けてくださった渡邊コーチには感謝のしようがありません。周りに支えられ、無事に渡米までの道のりが整いました。
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