これからの時代において増やしたい評価方法

ひと昔前の日本では、評価方法として「減点方式」が大半を占めていたように思います。

いかにミスをしないか、失敗をしないかが重要な事で、例えば「成功する」よりも「失敗しない」の方が親近感を覚えてキャッチーな響きを持っているように思います。

それは戦後教育において歯向かわない国民を作りたかったからなのか、会社の命令に従う従業員を大量生産したかったからなのか、あまり余計な事をしないようにして体制を構築したかったからなのか、何かしらの目的に沿った必要性というのがあったのだと推察します。


ちなむと減点方式を簡単に書くと「ミスを数える採点方式」ですね。もっと別の書き方をすると「無いものを数える方式」ですね。

具体例:「テストで90点とった」=「100点では無い、10点ミスしてる」、「100点とった=たまたまでしょ、まぐれでしょ」、「連続100点とった=所詮、中学生レベルでしょ」

(書いているだけなのに苦しくなってきた。。)

とまあ、常に褒められる事は無いわけです。

そんな事を繰り返していると段々と疲れが溜まって、生活の中でも「ミスをしたく無いし、それを人に指摘されたく無いから、チャレンジしない。行動しない。責任を負いたくない、何もしたくない(でも沢山の人から好かれて充実した幸せな人生を送りたい)。というゴーレム効果にあてられたこじらせ人を量産する事になってしまうのではないかと。


しかしながら、時代が流れていく中で今後必要性を増してくるのは、

「加点方式」

の方ではないかと考えます。こちらも簡単に書くと「良い部分を数える方式」、「有るものを数える方式」ですね。

具体例:やり始めの時に「新しいこと始めたんだね、いいね」、続けてやっている時に「続けてて偉いね」、成果出た時に「すごいね。上手になったね」

(調子に乗る事間違いなしです。これからも続けていこうと思えます。)

褒められまくりです。嬉しいですね。こちらはピグマリオン効果も期待できそうです。


ただ、これは減点方式の濃い中で生きてきた人にとってはとても辛いやり方かもしれません。「だって、今まで自分たちは辛い思いの中でも耐えてきて、忍耐それこそが美徳であり、その中での生き方しか知らなかったのに急に人を褒めろと言われても。だったら自分らがやられて来たことはなんだったんだ、割に合わないんじゃないか。」

と。培ってきた何かをそのまま否定されてしまうという風に考える方がいるかもしれません。

しかしながら実のところでは、人に褒められたかったし、やってる事を認められたかったんではないでしょうか。その部分を割合として増やしていく事は、これから大きな意味を持って来ると思います。

新しい時代における新しい価値を生み出すためには、減点方式による閉塞感から加点方式による開放感に、土壌となる環境を遷移させていくのが必要だと思います(畑も土に空気を含ませるように耕してやらないと良い作物は育ちませんし、頭皮もカラッカラのカッチコチでは良い毛も生えにくいのではないでしょうか)。


何でもやってみる、やりながら考えよう、失敗は成功のもとだね。

という風潮が生まれると、その先に次代に合ったモノが生まれてくるのではないでしょうか。中にはサイヤ人のように(年代がバレますね)、自分より強い敵に会うと「オラ、ワクワクすっぞ」という変態君も出て来るかもしれません。

そんな事を願いながら、今日の所はここまで。

「続けますか」→「はい」



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