真面目に生きていたら損をするのか?という話
はい。
萬伽里ですね。
少年ジャンプで連載していた『DEATH NOTE』という漫画の主人公、夜神月くんのセリフにこんなものがあります。
「ああいう糞真面目に正義感が強く真っすぐな人間が損をするんだ
ああいう人間が馬鹿を見るそんな世の中でいいのか?」
なるほど。
僕が好きなお笑い芸人さんのラーメンズの『ファン』にはこんなセリフがあります。
「いっつも、悪いことばっかりしてる人が、ちょっといいことすると、あれ?この人ホントはいい人なんだ!とか思えるけど、いっつも良いことしてる人がちょっと悪いことすると、あれ?この人ホントは悪い人なんじゃないの?って思われちゃうってことは、いっつも悪いことしてたほうが得だよね?」
なるほど。
世知辛いこの世の中、真面目に生きている人ばかりが損しているイメージありません?
っていうか、そこのあなた。
思ったこと、ないですか?
大丈夫、僕もあります。
そんな理不尽と戦いながら、ストレスを抱えながら、日々人類は生きているのです。
生きているだけで偉いんです人間って。
さて、果たして本当に真面目に生きている人ばかりが損をするのでしょうか。
24年間と11ヶ月人生を歩んでみまして、意外とそうじゃないんじゃなかろうかと思ったのです。
幸運の振り分けの考え方って人それぞれじゃないですか。
良いことがあったから、悪いことが起きるんじゃないかとか。
悪いことがあったから、良いことが起きるんじゃないかとか。
良いことがあったから、もっと良いことが起きるんじゃないかとか。
僕は、結局プラマイゼロだと思うのです。
僕が小学生の時、ゴミ拾いの活動があったんですね。
これはなんかスッキリするぞ?と思って、活動がない一人で下校するときもゴミを拾って帰っていたんですね。
ただの自己満足でね?
それで、ある日の朝の会で、僕が皆の前で呼ばれまして。
ゴミを拾ってたのを褒められたんです。
先生の知り合いがたまたま見ていたらしくてですね。
なんだか味わったことのない嬉しさを感じたんですね。
見返りを求めない純粋な真面目って時に、曇りのない純粋な嬉しさを運んできてくれるんだなと。
いや、真面目真面目言ってるけど、真面目にも色んな定義があると思うんですけどね。
少なくとも、小学生の時の僕はアホほど真面目やったんやなって。
自慢とかじゃないですよ?
気を悪くしたら本当にごめんね。
なんか脱線しましたね。すまん。
結局はあれです。
『情けは人の為ならず』です。
真面目に生きるに越したことはないと思ったのです。
理不尽に打ちのめされているそこのあなた。
今にも心が折れてしまいそうなそこのあなた。
人生なんかつまんなくね?って思い始めたそこのあなた。
プラマイゼロで、最期には、いい人生だったなぁで終われるのです。
一緒に戦っていこう。
そんなことよりね、
脇汗がすごい今。