取り残された音
「あっやべ」
残業終わりの終電、どうやら寝過ごしてしまったようだ。
急いで降りたその駅は、最寄りから1駅離れた所だった。
僕の地元は田舎だから、1駅の間隔がかなり広い。
タクシーでもよぼうか。
いや、ただでさえ運動不足なのだ。
今日は、歩いて帰ろう。
街灯もほとんどない真っ暗な道をひたすらに歩いていく。
人通りも、車通りも、ない。
あるのは、木々が風に揺れる音と、ぐねぐね続くアスファルトの道だけだ。
真っ暗闇で静かな時が、ゆったり進んでいる。
それは、まるで僕がこの世界に一人取り残されたような錯覚を抱かせる。
でも決して不安にはならなくて、なんだか心地よい。
ふと空を見上げると、そこには星、星、月、星。
今日は満月だ。
月明かりは僕の歩く道を儚げに照らしてくれている。
やわらかい。
文字に色が見えたり、言葉に味を感じたりするのを
共感覚なんていうらしい。
僕にはその感覚はないけれど、
月のあかりはきっとやわらかい。
僕たちが見ている星の光は、
何光年も離れている星が数年前に発した光らしい。
どんな思いも、どんな願いも、いつかきっと、そこに届くんだ。
こんなこと、普段は恥ずかしくていえないけど、
一人なら言える。
だっていまは、この世界には僕しかいない。
世界に取り残された僕と、月と、星と。
立ち止まり、目を閉じる。
肌に感じるのは、少し冷たい風。
聞こえるのは、木々が風に揺られる音、
と、かすかに聞こえるクッ、クッ、クッっという音。
鼓動だ。
僕の心臓が、収縮し、全身に血を巡らせている音。
僕の音と、風の音と、木の音が混ざりあい、溶けていく。
世界に取り残された僕が、世界に溶けていく。
眠りをさそう、そんな心地よさ。
ゆっくりとまぶたをあけると、
僕に優しく寄り添う月の光。
明日もきっと僕は頑張れる。