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教育を考える―子どもを教え導く言葉

2023/3/31(木):教育を考える23

 今日は大村はま先生の人生のなかで「心に残っている言葉」から教えを頂きたいと思います。

私の子どもだったころには、パジャマというものがなかったのです。それでみんな、大体浴衣を着て寝ました。浴衣が少し古くなると寝巻になったのです。(中略)
 そこへ母が来ました。(中略)〈寝巻の浴衣をたたもうとして上手にできない子どもたちに対して〉よしよしと思いながらいたのでしょう。けれど、見たら、お姉さんは肩のところを持って振っていますし、はまちゃんもそう、弟もそう。
 そのとき、「ああ、裾を持ちなさい。裾を持ちなさい」といいました。そして弟の浴衣をとって、裾をもってぴんと伸ばすと浴衣が長四角になったのです。(中略)
私はそのとき母が「きちんとたたみなさい」と言わないで、「裾を持ちなさい」と言ったのがたいそう心に残っています。「きちんとたたみなさい」ということばの持ってくる雰囲気、それは、どこかしかられているような、怖いような、そんな気がします。「裾を持ちなさい」、それは絶対成功できる方法なのです。(中略)
 それを母に言われたころは別に何とも思っていませんでしたが、だんだん大人になり、教師になって、私はそうだな、きちんとたたみなさいといったような雰囲気でものを言わないほうがいいのだなと知りました。

「忘れえぬことば」:大村はま P37~

 私たち大人は、子どもたちや部下、後輩に対して「きちんとしなさい」というような漠然とした感覚的な言い回しを、無意識にしてしまっていないでしょうか?
 「きちんと」「ちゃんと」と言われても、そのきちんとの物差しは人それぞれで、言われた相手にとっては、それそのものが既に「きちんと」という形であったりするもの。また、指示する側の「きちんと」自体もその時々によってさじ加減が変わってしまったりするもの…そんな指示とも言えない指示をされても子どもは混乱を深めてしまうだけです。
 子どもの「困りごと」をスパッと解決できるような、優しく的確な言葉をかけられる教師、上司、先輩、大人でありたいですね。
 ただ、的確なアドバイスを端的にできるためには、今相手が困っているところ(できていないと見えるところ)の改善点について俯瞰して捉え、理解し、解決ポイントを認識し、そのうえで実行でき得るような言葉で表現できなければなりません。
 つまり「きちんと」と言うのは誰にでも言えるのに対して、「裾を持ちなさい」というような、はま先生のお母さんのような的確で端的なアドバイスは、その物事の本質を理解していないとできない!ということ。
 指導する側の力量が問われる問題ではないかと思います。
 教師は本質的な教材研究と生徒の理解度の熟知をし続けることが教師には必要ではないでしょうか。
 子どもにとって
「何か怖くて顔いろを伺わなくてはならない相手」
ではなく
「有難い、助かる教師」
になれるよう、努力をできる教師でありたいものですね。

今日はここまで!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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