妊活日記―広がる地雷
10/17(月):夫婦の妊活記録③
沖縄で始まった新婚生活のなかで“不妊”という言葉が、頭と心を支配するようになってから、
「生活が変わると授かるらしいよ」
「温かい場所ならすぐできるよ」
なんて言われると、内心おだやかではなく…
笑顔で「それやのにできひんねん。ほんま不思議やわ」なんて言いながら、心の奥で反論を繰り返していました。
当時私が働き始めたのは地域密着な豚カツ屋さん。スタッフの中で赤ちゃんを待つ女性スタッフは私を含めて5人。
うち2人は妊娠中、「授かれない…」と口にするスタッフは私を含めて3人。
妊娠中の2人は、一人は年子の3人目、もう1人は5人目の妊娠。
不妊のうち1人は子どもは居るけど、再婚相手との子を欲しい…という女性でした。
「5人も居たら1人くらい減っても分からないよ。あげようか?」
という冗談。
また、すでに子どもが居る人に「私たち不妊で辛いよね…」と同じくくりで話をされること。
それらに怒りを覚えるようになっていました。
「なんでこの人にはできるんだろう」
「私とこの人の悩みは違う」
「もう子ども居るねんからいいやん」
そんな風に…もちろん、いま思えばそれぞれの気持ちを組むことはできるけど、その頃の私は、自分の迷いや辛さばかりに心が向いていました。
それらの要因は2つ。
・夫婦での妊活への思いのずれ
・近しい人たちからの言葉の刃たち
「保育士で人の子どもなんか見てたから、水子になつかれて子どもできひんねん」
「年上の嫁は畑(私の身体)が腐ってるから、種が良くてもどうしようもない」
「(私の家系が)不妊家系だ」
「学歴のある女は、心が冷たいから子どもができないんだ」
…そんな言葉たち。
今の私なら、相手を正座させてイチから性教育したろか!ってレベルの、
医学的エビデンスもないアッホみたいな発言たち。
でも、当時の私にはこれらの言葉を真正面から受け止めて、全てに傷ついて、囚われていました。
呪いがかかったように重く、今でも忘れられない言葉たちです。
よく生きてたな私…
あの頃の自分に会うことがあるなら励まして、背中のひとつも撫でてやりたい。
当時の私の代わりに、言葉たちを笑い飛ばしてやりたい…そんな風に思います。
生きてて良かった。
今「子どもがいない」現状は変わらないけれどとっても幸せな日々を紡いでいます。
夫婦の話はまた来週…