7.天草への旅
毎年、九州への帰省毎に訪れている旅行。この年は、天草諸島へ。目的はイルカウォッチングと、240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られ、今では国の重要文化的、漁村景観になっている地域、崎津だった。
息子はその当時5歳。久しぶりにその時の写真を見ながら思い出に浸っていた。
崎津までの道中、雨が降ったり止んだり。車から降りて散策できるかな~と不安がよぎったものの、到着してみるとそんな心配も無用。地面は少し濡れているものの、雨は止んでくれた。
霧がかり、ひっそり静かな佇まいのその町で、厳しいキリスト教への弾圧が行われていたなんて。現在の崎津教会は、踏み絵が行われていた当時の建物の跡地に建てられた教会で、踏み絵そのものがされたいた場所に現在の祭壇が置かれているという、とても意味深い場所。
中へ入ってみても誰もいない。静まり返った教会内。私たちの声だけが鳴り響く。写真を見ながら、そんな光景を思い出した。
「ここに黒い洋服を着た人が沢山いたよね?」と息子。
「え?!誰もいなかったよ。お父さんとお母さんと、Rだけだったでしょ?」
「え?沢山いたじゃない。」
「???!黒い服って?もっと詳しく教えてよ。男の人?女の人?」
「黒い布を頭から被っていて、洋服も上から下まで黒くてワンピースみたいな。黒い布で顔がよく見えないんだよ。でも、外国の人だよ。」
「え!?なんで外国の人ってわかるの?あの、イスラム教の黒い布で目だけ出ている人のこと?」
「そんな感じだけど、なんかちょっと違う。」それじゃあ、とキリスト教、黒い服を検索してみると、出てきたのが、シスターの服装。
「うん、うん、こんな感じ!頭から黒い布を被っているから髪型がわからないんだよ。だから男か女かはわからないんだよ。」と言う。
「へ~、その時から視えてたんだね。」と内心またもや驚きを隠せない母。
「お母さんも視えていると思ってたから言わなかったんだよ。」と息子。
その後、クリスチャンだという知り合いの方に会う機会があり聞いてみると、「天使にラブソングを!」の映画に出てくるシスターの服装を引き合いに出して、カトリックは秋冬はその黒い聖服を着るということがわかった。そう、崎津教会もカトリック教会。息子が言っていることと重なる。
現崎津教会が建つ前は踏み絵が行われていた場所だから、その服装で踏み絵はしないだろうから?息子は現崎津教会になってからの映像をみたのだろうか?
なぜ、息子は、そういう映像を見るのだろうか?考えても答えは出ないけれど、息子の目を通して、人の想いは、強ければ強い程、例え、体がなくなっても、その場に残り続けるということ、
そして、息子は、その場に居なくても、写真でも、写っていない人や物を感じ取れる力があるということを確信した。
家に飾ってある、亡くなった祖母の写真をみて、
「おばあちゃんの第三の目って何色だったの?」
「おばあちゃんは死んじゃったから白だよ。」
「そうなの?そしたら、今、生きてる人の写真は、今の生きてる時の第三の目の色で映っているってこと?」
「そうだよ。」
「え?!そうなんだ~亡くなった方は、みんな白なの?」
「そういうことになるね。」
そんな話をしていると、急に思い出したように、
「そういえば、おじいちゃんが倒れた時、おじいちゃんの体の上を白い玉が飛んでいて、その白い玉におじいちゃんの顔があったの。」
息子が3歳5か月の時、私たちが帰宅すると、息子の祖父が部屋で倒れていた。私は、慌てて救急車を呼び出し、救急車が到着するまでの間、必死に心臓マッサージをした。その時、他の家族は家にいなかったので、その光景を息子はずっと見ていた。
その時のことを思い出したらしい。
「おじいちゃんの体から出てきたのかな?白い玉は?」
「そうなんじゃないかな。おじいちゃんが棺に入るまで、ずっとおじいちゃんの近くをふわふわ飛んでたよ。棺に入ったらもう見えなくなってたよ。」
3歳の息子がそういう光景を目にしていたんなんて!そしてそれを覚えているなんて!
葬儀が終わって、普通の生活に戻る頃、息子はチック症の症状の一つとみられる瞬きが異常に増えた。何でもないように振舞っていて、実は、ものすごい心の負担が息子にかかっていたと気づいた。
瞬きが多いことを指摘せずに、自由にやりたいことをやりたいようにやらせ、沢山外に行って遊ぶことを心掛けた。そうしていたら1か月も満たないうちにすっかり回復した。
幼い息子の身に起こっていたこと、視えていたもの。今、8歳になった息子と、こうやって振り返り会話ができるようになったから知れたこと。目にみえてる事って、ほんとに一部分に過ぎないのだなと、また、息子に教えてもらった。
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