14.中山法華経寺
学校から帰宅した息子が、珍しく自分から
「お母さん、今日、面白いことがあったよ!」
「何?面白いことって?」
「今日さ、学校のiPadで、地図アプリの写真バージョンで探検していいよって言われて、うちの近所を見てたんだよ。そしたらさ、中山競馬場の方まで行っちゃってさ、そしたら、お寺が沢山あるところに辿りついたの。そしたらね、黒い着物で、茶色の帯みたいなのをやってて、坊主頭の人が歩いてるのよ。」
「え?それって、普通の人でも見えるやつ?」
「写真には何も写ってないんだけれど、その人が歩いてるのよ~。」
「ってことは、視える話ね?」
「そうそう。」
「お母さんは行ったことはないけど、確かその辺に、中山法華経寺があったはずなんだけど、その辺のことかな?その人、お坊さんなんじゃない?服装がお坊さんだよ。」
「うん、そうかもしれないね。」
「今度、行ってみたい?」
「うん、まあね。」
「あれ、そういえば、明日、その近くの映画館に行く予定だったよね?帰り道に、そっちの方を通ってみようか?」
「うん、時間があったらでいいよ。」
ちょうど、翌日に「神有月のこども」という出雲地方が主題のアニメ映画を観る予定で、チケットを予約していたのだ。
この映画を観たいか息子に聞いた時に、「三峯神社へ行った時に、その映画のポスターが沢山張られていたよね。」と息子。私はそのポスターの記憶など全くなく、どこに張られていたかと聞いても、沢山あったからどこって言われてもと言われてしまった。私は、この映画の公開日の前日にたまたまネット広告で目に飛び込んできた。
出雲大社にいつか行ってみたいねと思いながら、出雲大社への行き方を調べるべく、息子と出雲大社のHPの最初の画像をみせるやいなや、驚いた様子で、
「お母さん、すごいよ!!!ここ!!神様がいっぱい並んでるよ!!!建物のいたるところに神様がいて、もう入り切らないから、きっと隣の県の鳥取県の神社まで並んでると思う!」などと言うのだ。(私には、建物がそこにあるだけにしか見えないのですが。)
「今は10月。出雲は神在月だから日本全国から神様が集まって来ているんだよ!その代わり、お留守番の神様も居るけど、他の県の神様はほとんどその神社から居なくなってると思うよ。」
「え~そうなの?!そしたら、出雲大社以外の神社の神様は10月はそこから居なくなるってこと?」
「うん、そうなんじゃないかな?」
「そしたら、他の神社のサイトもみてみようよ。」と、お隣の鳥取県の神社をランダムに検索し写真を見せると、
「やっぱり~、神様が鳥居の前に一列になって、あっちの方を向いて並んでるよ。」
「え~、何それ!そんなことってある?」
そんな事があり、「神在月のこども」が出雲のお話ということで、私も興味津津、息子にもぜひこの映画を観せたいと思ったのだ。
息子に、紙の写真を見せても、ネット上の画像を見せても、そこには実際は写ってはいない、今、現在の姿が重なって視えるらしい。そんなことも、これまでの息子との話のなかでわかってきた。
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映画鑑賞を終え、帰り道に中山法華経寺周辺を通ることにした。
細い通りに入ると、突然、昔の街並みが残り風情を感じさせる雰囲気が漂っていた。大きな黒門が見え、さらにまっすぐ歩いていくと、三門に辿りついた。右の方に、大きな迫力ある像があった。
「え!もしかしてこの人じゃない!!!Rが地図アプリで視えた歩いてた人って!?」思わず私は興奮気味に言った。
息子が前日話していた通り、坊主頭のお坊さん。像なので実際には色はわからないが、息子のいう黒い着物に、茶色い袈裟、像のお坊さんは左手に巻物を持っていた。時代劇でそういう恰好のお坊さんを観たことがある。
そのお坊さんの像の横にある説明を読んでみると、どうやらこのお寺を建てた鎌倉時代の日蓮聖人だということがわかった。
「この人だよ~Rが視た人は、きっとこの日蓮聖人さんに違いないよ。」
「そうなのかな~。」
三門をくぐり、まっすぐに歩いていくと両サイドにお寺がいくつあった。息子は左側にあるお寺が気になったようで、一人でそのお寺の入り口から中へ入っていってしまった。
「R,そこはお寺だよ。勝手に入って大丈夫かな?」と、私の声も聞かずに、
「ちょっと失礼します。」と小声でごあいさつをして、恐る恐る少し中へ足を踏み入れる息子。
「どうしたの~?」と、私は離れたところから
「あのね、白い玉が飛んでるんだけれど、その白い玉に人の顔があるんだよ。」
「え?!全部の白い玉にってこと?」
「そうそう。珍しいんだよ。おじいちゃんが死んじゃった時も、おじいちゃんの顔の白い玉が飛んでいて、今日は、久しぶりにみたからさ。」
と話しながら歩いていると、五重塔など色々な建物が見えてきた。
お参りを終え、境内を見渡しながら、
「どこかに昨日、地図アプリで視えたお坊さんどこかにいる?」
「う~ん、あ!あそこにいるよ!」と、五重塔の方を指さした。
「五重塔のどの辺にいるの?」
「一番上のところだよ。」
「何してるの?」
「まわりをみてるよ。」
「見守っているのかな?」
「五重塔にいる日蓮聖人さんとお話ってできるのかな?」
「う~ん、できるかわからないけど、やってみる。」すると、息子は視えない何かに向かってお話をしている様子。
「お母さん、今、ここに来てくれるって。」
「え!?ここ?!」と言うか言わないかのうちに、
「お母さん、今、目の前に居るよ。」
「え!?来ちゃったの?ずいぶん早いね。どうやって来たの?飛んできた感じ?」
「飛んできたっていうよりも、気づいたらいたから。」
「瞬間移動?!かな?(汗)」
「え~!!!そしたら、せっかく来てくれたから、何か聞いてみようか?」というと、息子はもじもじ、本当に目の前に恐れ多い誰かがいるようで、
「僕には聞けないよ。お母さんが聞いてよ。」
「お母さんは、視えない聞こえないから直接お話できないのよ。お願い!そしたら、今の世の中は日蓮聖人さんにとってどうみえるのか聞いてほしいけど、いいかな?」と、息子は通訳のように私が言ったことをそのまま、ひそひそと質問した。
「なんて言ってるの?」
「日蓮さんは、死ぬってことはなくて、姿はないけど、病気になったりすることはあって生きてる人と同じだよと言ってるよ。」という息子。
「そうなんだ。へ~そういう風に言っているんだね。わかったよ。聞いてくれてありがとう。ごあいさつして帰ろうか。」と言って、空中にお辞儀してその場を後にした。
帰宅中、自転車を漕ぎながら、今日も、なんだかすごい体験をしたな。一体どうして息子にはそんなことができるんだろうか?と思ったのだった。
Instagram makana.7
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