広末涼子よりも遠い存在
インターネットが始まった頃、欠損フェチがどうやって情報を得ていたかというと、切断障害者向けのサポートサイトしかなかった。
掲示板では義肢ユーザーが「どんな義足がいいか」「義足でどんな生活をしているか」など、情報のやりとりが交わされていた。
カリスマ義肢装具士が運営している義足ユーザーによる陸上チームの話題もあった。
その中には女性だっている。
かといって、自分は別に義肢装具士でもなければリハビリ関係者でもない。
声をかける必然性なんてどこにもないのだ。
必然性もないのに女性に声をかけるなんて、不審者そのものじゃないか。
この「必然性」が無い以上、画面の先にいる彼女たちは、「広末涼子より遠い存在」でしかなかった。
だから、指を咥えて見ているしかなかった。
当時のトップアイドル・広末涼子は早稲田大学に入学した頃だった。
その中でも特に印象的だったのは、現在南千住にある鉄道弘済会義肢装具サポートセンターが東中野にあった頃のことで、その待合室のノートを抜書きしたというもの。
女性では以下のような人がいたと思う。
・大腿義足。高校を卒業して就職したばかり。差別の目もあるけど、夏は露出の多い服を着て海にいきたい!
・大腿義足であることを隠して私服の都立高校に進学。野球部のマネージャーをしていた。今(当時)は免許を取りたい。ビリヤードもやりたいが出不精なので。
・下腿義足。結婚間近だが旦那は気が利かないのでプレゼントなんてくれるのかな。
いずれも、文章を読むだけでも魅力が伝わってくる女性たちだったが、いかんせん「広末涼子より遠い存在」だった。
今やみんな結婚でもして、子供もそれなりに大きくなってたりするんだろうか。
現在、東中野の身体障害者なんとかセンターは、JR東日本の独身寮になっている。
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