ビートルズって結局、何が凄いのか?新曲「ナウ・アンド・ゼン」を聴きながら、彼らの凄さをまとめてみた。
27年ぶりとなるビートルズの新曲「ナウ・アンド・ゼン」が、今月11月2日にリリースされました。音楽ファンの皆さんも、お聞きになりましたでしょうか。
この曲は、1977年にジョン・レノンが自宅でテープに録音した後、完成度が低かったこともあり、1995年にジョン・レノン以外のメンバー3人で完成させようとしたものの、デモテープの音源を活かす技術が追いつかず、そのまま未完成の状態が続いていました。
しかし、昨年2022年にAI技術を駆使したことで、ジョン・レノンの音声解析やノイズ除去ができたことで、遂に、40年以上の時を経て完成されました。
ビートルズは、1962年にデビューしてから1970年に解散するまでの約8年間で、世界の音楽シーンに革命を起こし、現代の音楽産業に大きな影響を与えたイギリスのロックバンドです。
2020年代を迎えた今でも、彼らの楽曲は至る所で耳にし、誰しもが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
ですが、彼らが活動していたのは今から50年以上も前のことであり、今を生きる若い世代では、「ビートルズって結局何が凄いの?」という疑問を抱く人も多いと思います。
そこで、新曲「ナウ・アンド・ゼン」がリリースされてたった1日で世界中で話題になっている今、私なりに彼らの凄さをまとめてみたいと思います。
ビートルズってどんなアーティスト?
ビートルズは、レコード/CDの総売上が10億枚を超える、世界で最も成功した、イギリス発の伝説的ロックバンドです。
メンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人で、全員が天才だったと言われています。
バンドのリーダーであるジョン・レノンは、ボーカルとギターを担当し、ポール・マッカートニーと共同で超有名曲を多数生み出した天才でした。解散後も「Imagine」などの名曲を作っています。奥様が日本人女性のオノ・ヨーコであることでも有名です。
ベースを担当していたポール・マッカートニーは、数々の名曲を手がけた天才作曲家として有名です。ビートルズ解散後も多数のヒット曲を生み出していて、今もなお現役のミュージシャンです。
ギター担当のジョージ・ハリスンも、天才作曲家と言われていました。また、他国の音楽文化をロックに取り入れたり、エリック・クラプトンとレコーディングをするなど、当時は斬新だった取り組みを積極的に行っていました。
リンゴ・スターは、ドラム担当しながら、メンバー3人の人間関係を潤滑にしていた癒し系キャラと言われています。天才3人に比べると存在感が薄いように感じてしまいますが、「リンゴ・スターがいなかったらビートルズは成功していなかった。」と言われるほど、バンドには必要不可欠な存在でした。ちなみに、”リンゴ・スター”は芸名で、本名はリチャード・スターキーといいます。
世界中で愛される名曲の数々
彼らの曲で日本で人気なものは、「Let it be」「Hey Jude」「Help!」「Yesterday」などがありますが、それらはヒット曲のほんの一部であり、世界的に有名な曲は多く存在しています。
ちなみに私がここ数年聴いているのは、「Ob-La-Di, Ob-La -Da」と「Blackbird」。
「Ob-La-Di, Ob-La -Da」は、市場に勤めるデズモンドという男性が、歌手を目指しているモリーと恋をして結婚する物語を、コミカルなメロディで表現しています。歌詞の中で”Life goes on(それでも人生は進んでいく)”というフレーズが何度も繰り返される度に、自分の人生を照らし合わせて聴いています。
「Blackbird」は、アメリカの公民権運動に触発され、黒人女性を隠喩したものといわれていて、哀愁漂うメロディと、切なさを感じさせるポール・マッカートニーのボーカルが、物思いに耽させてくれます。
なぜ、ビートルズが高く評価されているのか?
ビートルズが高く評価される理由は、なんと言ってもミュージシャンのスタイルの礎を築いたことです。
当時の音楽業界では、ビートルズがデビューするまで、曲を作ることと、演奏/歌うことは別の人物が行うことが当たり前でした。しかし、ビートルズはそのスタイルを壊し、自分たちで詞を書き、自ら演奏/歌うという革新的なスタイルで、多くのヒット曲を生み出しました。その功績は、現代のミュージシャンにも定着しています。
そして、世界で初めて野球場(MLBニューヨーク・メッツの本拠地シェイスタジアム)でライブをしたのも、ビートルズです。
これだけでも十分に凄いことだと個人的には思いますが、そのスタイルで築き上げた輝かしい実績と驚きのエピソードは、今では考えられないものばかりです。
1. 米国のビルボードヒットチャートで1〜5位を独占
総売上枚数が10億枚以上というのも非現実的で意味がわかりませんが、彼らは、1964年4月4日のビルボードヒットチャートで1~5位までを独占しました。この記録は今でも破られていない、とんでもない記録です。1曲で1位を獲得するだけでも難しいのに、TOP5を独占するというのは、あり得ないエピソードです。
2.何年もの間、ずーっとランキング1位を継続
それだけでなく、8年という短い活動期間中にビートルズのアルバムが1位だった期間は、イギリスとアメリカのそれぞれで約3年です。日本のオリコンチャートでも、そんなに長い間1位を記録し続けたアーティストは存在しませんので、どれだけ浮世離れした記録なのか、想像できます。
3. イギリス政府の財政難を救ったのは、ビートルズ
当時、ビートルズの収入があまりにも高額過ぎたので、彼らに課せられた所得税は驚愕の95%!ここまでくると何が何だか分かりません。
税当局者は、まさかこんな税率が適用されることは絶対無いだろうと思っていたそうです。その後、累進課税の見直しが行われ、累進の率や金額も抜本的に改正されました。そしてその頃、逼迫していたイギリス政府の財政難を救ったことが讃えられ、大英帝国勲章を授与しています。ビートルズの4人は、イギリスの政治・経済にまで大きく影響を及ぼしました。
4. なんの変哲もない横断歩道を歴史遺産に
ビートルズを象徴する写真に、ラストアルバム「Abbey Road(アビーロード)」のジャケットがあります。メンバー4人が横断歩道を闊歩している様子は、どこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。
私は以前に、その地を訪れたことがあります。
アビーロードの最寄駅は、Jubilee(ジュビリー)線のSt. John's Wood(セント ジョンズ ウッド)駅。駅を出ると目の前に、彼らの曲にもなった”HELTER SKELTER(ヘルタースケルター)”というカフェがあります。このカフェのすぐそばにある十字路を渡り、Grove End Road(グローブエンドロード)治いに5分程歩くと、あの横断歩道に辿り着きます。
そこには、ジャケット写真のメンバーと同じようなポーズで記念写真をする人が沢山いました。思いのほか交通量が多く、記念撮影するには交通を妨げなければならず、難易度は結構高いです。
そして、そこに存在する”アビーロードスタジオ”はとても美しく、まさに『聖地』と言っても過言ではない場所でした。この地を訪れたファンは、スタジオを囲む赤レンガの壁に思いを書き綴り、一つの世界観を作り上げています。
彼らがこのアビーロードをジャケット写真に選んだ理由は「忙しくて時間がなかったから」。世界的ロックスターが多忙を極めるのは容易に想像できますが、「ここで撮影しちゃえ!」というノリで撮影した場所が、時を経て歴史遺産に指定されることからも、どれだけ彼らの功績が凄いことかを、物語っていると思います。
ビートルズは、ロックをアートに昇華させたとも言われています。その証拠として、ロンドン市内のアートミュージアムでは、歴史的な美術作品と同じように、”ビートルズ”という区分が設置されていて、様々な展示物が飾られています。
当時のミュージックシーンに革命を起こし、今日の音楽産業に大きな影響を与えた功績は非常に大きく、これからも、伝説のロックバンドとして、名曲の数々は世界中で流され、時代が変わっても、人々に愛され続ける存在なんだと思います。
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