我が家の歴史8~祖母ヒストリー①~
いらっしゃいませ。
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回からは祖母の生き様…といいますか、聞いた話、祖母を見てきた話
祖母の生き様を綴っていきます。
が、改めて難しいなぁ、と思っています。
とたんに筆が重くなって来ましたが(笑)
楽しんで書いて行こうと思います。
幼少期の事は書きましたが、とにかく勉強するのが大好きだったようで、小学校を卒業した後、すぐに女学校に合格しました。
でも、親の世話をしながらだと学業と両立できないので、途中で女学校を辞めたのです。
本を持って泣いたと聞きました。
社会人になってからは、バリバリのキャリアウーマンで、統計事務所、公証役場などの会計の部署で部署の責任者も務めました。
結婚してからも家庭で色んな仕事をしました。
ざっと上げると
子育てしながら組み紐作り、のし袋の飾り作り、手作りのヘアアクセサリー、養蚕、田畑で米や野菜作り、洋裁、和裁、会社で必要な布団を作ったり、ワイシャツから野球のユニフォームを作ったり…
私達が小さい頃はテレビを見ながら機械編みで編み物をしていました。
とにかく何かをしていて休むという事がなかった記憶があります。
ありとあらゆる事を経験したんだと思います。
テレビのクイズで「布団の綿の入れる順番」というクイズがあった時、
「知っとるよ」と正解を答えた祖母に驚いた話を叔母に話したら。
「当然よ。私も知っとるよ。」と言われました。
私達、全然知らんやん…(´Д`)
時代と共にアホになってる…
(@_@;)
すごくそう思いました。
そうそう、こんな話も聞きました。
冬のある日、会社でお昼の時間にストーブでみんなが暖まるように味噌汁を作ったのだそうです。
食べ終わった頃に、曾祖父がたまたま用事があって会社に来たので、味噌汁をご馳走しました。
すると曽祖父は「この味噌汁は危ない味噌汁じゃな。」と言ったのです。
危ない味噌汁ってどういう意味かわかりますか?
これ以上でも以下でも美味しくない、絶妙に美味い味噌汁だ、という意味です。
ちょっとぉ、そんな言い方せんでも素直にこれは美味い!って言えばいいじゃない。と思うんですけどね。
でも、祖母は褒められた、と喜んでいました。
祖母には妹が居て、祖母より綺麗で頭も切れたので、曾祖父は「お前が男だったらよかったのに」と妹を絶賛したのです。
祖母も妹が可愛いので、妹が小さい頃はおねだりされると人形の服や座布団を作ってあげたりしたそうです。
でも話を聴きながら私には見えていました。
祖母はどんなにか父親に認められたかったか…。
父親は理想の男性だったのだろうな。
小さい頃から甘える機会が少なくて、人の世話ばかりしてきて、
寂しかっただろうに、
妹がきっと羨ましかったに違いないだろうに、嫉妬もしないで…。
喜んでもらう事で寂しさを埋めていたんだろうな。
切ないほどのお人好し…。
あほやん。おばあちゃま