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我が家の歴史7~外伝/親戚の話~
いらっしゃいませ。
いつも読んでいただきありがとうございます♡
今回は親戚の話をします。
山口市に親戚があるのですが、明治維新の前頃に、ツチさんという女性がいました。
とても賢くて、美人な女性です。
なんで皆さん、賢くて美人ばかりなのかなぁ(笑)
聞いたところでは、祖母の妹、大叔母が昔ツチさんのところにお世話になった事があるそうですが
とてもとても厳しい躾をされたそうです(汗)
大叔母は頭が良く、切れる方だったので見事に勤め上げたそうですが、どうりで、大叔母にはよく叱られました(笑)
でも反面、その切れ味の良さは私には持ち合わせていなかったので、羨ましくもありました。
叱る内容も一見理不尽に聞こえるけど、なぜか不快には思えない情の深さも感じました。
祖母と大叔母が二人揃ったら良くも悪くも難攻不落の城壁のように親戚一族の頂点に君臨していました。
ツチさんの話に戻りましょう。
何と、ツチさんはあの伊藤博文の幼なじみだったそうです。
小さい頃はよく取っ組み合いのケンカをして、木に括り付けられてお互い
あっかんべー!あっかんべー!
としていたのだとか!!
おぉー!すごいエピソードです!
年頃になって、ツチさんは伊藤博文からプロポーズを受けたそうですが
「あんな背の小さい不細工な男、要らんよ」と断ったのです。
後に伊藤博文は総理大臣になったので、
「あの時、受けてたら私は総理大臣夫人だったのにね」と舌を出して祖母に笑って話したそうです。
すごいなぁ
でも、ツチさんはその後、長崎の諫早の殿様の所に輿入れされました。
そして息子を一人産みましたが、跡目相続争いで命を狙われた為に逃げて山口に帰って来たのだそうです。
息子の名前は元若。
この方がまた素晴らしく美少年で、飛び抜けて賢かったのだそうです。
青年になって、東京の宮内庁権守(くないちょうごんのかみ)へ養子に行ったけれど、肺結核で29で亡くなったそうです。
何だかすごい経歴で、普通じゃないエピソードです。
ツチさんは明治維新の頃はくノ一(女忍者)のような事もしたらしいと祖母が言っていたので、裏の密使とかやっていたのかな、と思うと、ちょっとザワザワしてしまいます。
スケールの大きな出来事ばかりで想像もつきませんが、こんな方も親戚にいらしたのです。
親戚の話はこれでおしまい。
次回からは、祖母の生き様を家族や私の過ごして来た事を私の目線ではありますが祖母に絡ませてお話していきたいと思います。
どうぞお楽しみに♡