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我が家の歴史9~祖母ヒストリー②~

いらっしゃいませ。

いつも読んでいただきありがとうございます♡


祖母の事はあまりに多いので、これはという話だけをピックアップする事にします。

ちょっと面白いエピソードをひとつ♪

40歳を過ぎた頃に謡曲を習おうと思い立った祖母は、持ち前の集中力で覚えて行きました。

当時、戦後間もなくの頃です。
一番盛んだった頃は仲間が20人くらい居たそうです。


萩市の松本川と橋本川の合流地点に太鼓湾という桜の名所があります。


そこで皆で花見をしながら謡曲をうたおう。という話になりました。


当時、警察署の署長さんもメンバーの1人でした。

20人もの人をどうやって太鼓湾まで連れて行こう。と相談。すると、


署長さんが犯人護送車を運転してきて、「これなら皆乗れるじゃろ」

皆さん、これはいい!と面白がって乗って行った。

いやー楽しかったよ。と祖母


はぁ❗❓

ちょっとまって💦 堂々と職権乱用してたのね( ̄▽ ̄;)

護送車にって…💦

乗せる方も乗せる方だけど、乗る方も乗る方だよねー(笑)

今じゃとても考えられないよ!!

と言うと、面白そうに大笑いしていました。


昔って、すべてにすごくおおらかだったのね~。いいなぁ。と思いました。


もうひとつは晩年の話です。


時々昔のテレビドラマを放送していたのですが、それはおそらく大正時代あたりの話だったかもしれません。


髪結いの仕事をしていた女性が時代の流れからなのか、店をたたむ事にして、同時にその仕事からも引退するという場面でした。

辞める前日の夜、女性は大きく綺麗な日本髪のかつらを結っていました。

結い上げた時に、テレビを見ていた祖母がこう言いました。

「見とってごらん。このカツラにお辞儀をするよ。」


画面を見ると、女性は最後の日本髪に向かって静かにゆっくりとお辞儀をしました。


私は感動しました。


こういう文化があったのね。
そして祖母はそれを知っていた。
脈々と流れる丁寧な心の日本の文化…。

なんて素晴らしいんでしょう。


一層、祖母を尊敬しました。


私の文章力でこの場面の様子が伝わったか少し不安ですが(笑)


今回はここまで。


次回はちょっぴり私の黒歴史と、祖母の姿をお話しします。

お楽しみに♡

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