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私は打たれ弱い。でもそれって最高だ!

今思い返すとなんですが、子どもの頃はとにかく自信がなかったんです。例えば中学校一年生のときのちょっとしたバーベキューイベント。みんな私服なのに自分だけ体操着だった。ただそれだけでその場にいれなかったんです。

他人の目だけが気になっていました。他人と違うことが、とにかく怖かったんですね。

そう考えると今はだいぶ面の皮が厚くなったものだと思います。今ならどんなにみんなと違う服装であっても、タレをドバドバかけて腹一杯に肉ばかりを食って満足して帰る自信がありますw

ふと気付けばですが、生きていく中で少しずつそんな行き辛さに適応するすべを学んでいったんですね。なんだかんだで人は成長する。だからもし今が苦しくても、それでもいい。

とはいえ、未来のことを言ったところで、今この瞬間に打ちのめされることは誰にとっても辛い。打たれ弱いのは誰にとっても辛いんです。

そして社会人生活では、例え苦しいことがあったり傷つくことがあっても、平然としていることが賞賛されがちではないでしょうか?

どんな苦しい環境でも、粛々と仕事を続ける強さが求められる。そして、その報酬はより困難な仕事だったりもします。

そんな期待に応えていくうちに、自分が普通に打たれ弱いということをすっかり忘れ去ってしまっていたような気がします。

チームコーチやファシリテーターとしても、自分で言うのもなんですが、ある程度の修羅場は味わってきました。

そこから何度も再生して、より強くなってきた自負もあります。だからこそ、自分が傷ついていることに、ますます鈍感になってしまっていた気がします。

本当はいつだって常に傷ついてきました。もちろん家族や友人と楽しい時間を過ごしたり、サウナや瞑想を重ねて回復はしますけど。

それでも私は打たれ弱いんです。上手くなっていたのは、どちらかと言えば取り繕うことだけなんです。

でも傷ついてちゃんと痛いと感じるたびに、膝をつくたびに、色々なことに気付くことができました。

自分だけでなく多くの人にとっても、同じことが起こっているということ。世の中には認められていない傷や苦しみが、山ほどにあること。それでも前に進もうという、人々の力強さにあふれていること。

そして、自分自身もそんな力強さを持つうちの1人であること。そのことに気付いただけでも十分じゃないでしょうか。

私は打たれ弱い。

だから大切なことに気付くことができる。

私は打たれ弱い。でもそれって最高だ!


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