まちづくりには「内的動機付け」が欠かせない理由
先日、今年アシスタントをさせていただいた都市経営プロフェッショナルスクールの修了研修が行われました。みなさん約8ヶ月の厳しいトレーニングを終え、最後の最後まで考え抜いた渾身のプレゼンを発表されました!これからがスタートですが、まずはお疲れ様です。
一方でストレッチポイントとして、講師陣からは全体的に「ビジョンが不足している」との指摘もありました。具体的に何をするのかも当たり前に大事ではありつつも、その前に「私は何を目指すのか」という点が不足しがちであった、ということです。
自分自身が何をしたいのか。I have a dreamの部分がしっかり表現されていないと、聞き手もしっくりこない。だからそれがないと"シャバの世界"で共感を得て仲間を増やすことは難しく、つまりは事業を発展させることも難しいというアドバイスだと私は受け取っています。
内的動機付けとは?
このビジョンという観点から言うと、客観的な事実や課題も当然ながら捨て置くわけにはいきませんが、一方で主観的な内的動機付けが重要になってきます。内的動機付けの定義については以下から引用させていただきます。
要は、自分起点で何を進めるのか、ということです。こういった原動力も必要になってくるんですね。
私たちは外的動機付けが続く環境で育ってきている
一方で、「金銭が得られるからやる」や「怒られないためにやる」というような外部からの褒賞や懲罰を、外的動機付けと言います。内的動機付けが大事だから外的動機付けが不要、というわけではありません。(何事も武士は食わねど高楊枝とはいかないわけですから。)
私たちが小さい頃から受けてきた学校教育なんかは、外的動機付けがメインでしょう。宿題をしなければ怒られる、試験をパスできなければ落第してしまう。
就職活動なんかも給与や福利厚生を当然確認しますし、独立していても得られる対価は仕事を選ぶ重要なファクターです。仕事の中でも上司や取引先からのフィードバックというのは注意が欠かせない。要はひとしきり外的動機付けが多くを占める環境で、私たちの行動は決定されているわけです。
特に、「みんなのため」みたいな意識の出やすいまちづくりは、意外と内的動機づけがより深まりにくい傾向にあると感じています。「自分にとってどうか」の前に「社会にとって、地域にとってどうか」という判断軸が前に出てきてしまいやすいからです。
なので、外的動機付けに慣れ親しんだ私たちにとっては、主観的なビジョンが置いてきぼりになりやすい構造にもあるのではないかと考えています。
私利私欲と社会の接点を探すこと
というわけで内的動機付けが非常に重要になるのですが、もちろん本当に自分のやりたいようにだけやっていても世の中どうにもならないのは当然です。「自分が何をしたいこと」と「世の中が必要とすること、きっと必要とするであろうこと」の接点が必要になってきます。
実際これを探すのは結構大変な作業です。就職活動の大学生なんかがこれを一生懸命やって沼にハマり、結果しっくりこないまま社会人になったりしますよね。孔子も「40歳にして惑わず」というわけですから、焦らずとにかく試行錯誤しながら見つけ出すことが大切ではないでしょうか。
私のコーチングをするうえでのビジョンとしては、まちづくりなどパブリックに関わる方々の、「私利私欲」と「必要なこと」の接点を探すお手伝いをさせていただきたい、というのがあります。だってその方が、もっと楽しい世界になりそうだから!
また都市経営プロフェッショナルスクールの来期(公民連携課程8期)の募集もスタートしています。ぜひ飛び込んでみてください!