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不幸な人を見て「あー私はああじゃなくて良かった」と思ったことないですか?~映画「みなに幸あれ」を観て考えた【幸せと不幸のバランスとは】

お読みいただきありがとうございます。
これは映画「みなに幸あれ」の感想とともに、それを観て感じた僕の

もどかしさ

をつづるものです。

ネタバレもありますので、未観の方はそっと閉じてください。


主題:「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」

この、一見当たり前のようでいて実は罪深いキャッチコピー。
これが作品の肝となります。

ぶっちゃけ、ストーリー云々は他筆に譲ります。
いわゆる最近流行の
「村ホラー」
ではある中で、この「主題」は観終わった後も痛烈に僕の心をかき乱しました。

朝起きてご飯を食べて、友人と語り合い、
夜は温かい布団で寝る。

当たり前の日常。

でもそれはとても「幸せ」な日常。

その裏で、不幸にあっている人たちは何万人もいるのに。

劇中、とある人物が主人公に問いかける

「不幸な境遇の子供たちをみて、可哀想だと思う?」
「本人はどうあれ、垢の他人から見て【不幸】って思われている時点で、
その子たちはもう幸せではないのよ」

例えば、

(批判覚悟で書きますが)

今の震災。
連日の被災地報道。

それを見て
「あー大変やな可哀想やな」
と、勿論皆さん思うことでしょう。

でもその裏に、少しだけ。

少ーしだけでも、

「あーうちは今まで通りの生活ができてて何より」

って思いませんでしたか?

被災しなくて何より
電気も水道も今まで通りで何より
週末旅行に行くわ何より

責めてる訳ではないんです。
当たり前のことと思います。
僕だってそうです。

ただ、

この作品を観た後に思うのは
やっぱり

「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」

この言葉が頭から離れないのです。

もしかしたら、僕らの「幸せ」は、
被災した皆さんの「不幸」から
頂いているのではないか。


いや、もうそこまで思うと、まんまと作品の「呪い」にかかってるのだとは、

思うけれども。


強引に個人で被災地に救援物資を送ることとか問題になってますが、
もしかしたらそんな人たちは、今言った「呪い」に、もうかかってそして、
気付いた人なのかもしれませんね。

「限りある【幸せ】を取り合っているんだよ」

取り合うことなく、分け与えられる「幸せ」があればいい世の中であれと、
思うばかりです。





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