有料配信バラエティのあれこれ
昨今有料バラエティが増えてきましたよね。藤井健太郎が発表した大脱出やアメトーークの有料版アメトーーククラブなど、普段テレビバラエティをしているプロデューサーが有料配信をするケースも増えてきました。
他にも有名放送作家が手掛けるなど、これからもテレビのPや構成作家などが有料配信が増えていくことは間違いないでしょう。しかしながら、増えてきたからと言って、全てがお金を払ってまで見るバラエティか?と言われるとはい、とは言えない状況です。
具体的にどれを指すのか、有料バラエティである必要性を考えたうえで、自分なりのお金を払ってまで見るバラエティの境界線を探ってみます。
有料バラエティである必要性
まず有料バラエティである必要性を考えたいと思います。
1潤沢な予算によって、規模が大きいバラエティが可能となる
今現在、テレビが十分な予算を組むことは難しいでしょう。テレビというものが絶対的な娯楽のTOPに君臨していたのは、遠い昔のことで、インターネットの普及により、動画配信サイトなどと同じ並びにいることは間違いないです。
そのため、スポンサーもテレビに広告を出すのではなく、動画配信サイトに出すなど選択肢が増えたため、テレビのスポンサーの数も減り、予算が昔よりは少なくなっているのではないかな?
そこで、有料配信のプラットホームから予算を貰い、十分な予算を組んだバラエティをするというテレビプロデューサーや作家が増えてきたということです。
例えば、藤井健太郎の大脱出、大脱出2はテレビの予算では行えないほどの規模で、有料配信の凄さが分かります。
2テレビのコンプラを少しはみ出た演出が可能となる
テレビのコンプラというのは、テレビが国民の1億2000万人全員が見ている可能性が高いため、様々な配慮をしなければなりません。
例えば、落とし穴。以前までは何ら問題のない定番罰ゲームでしたが、一般人が作成した落とし穴で死亡者が出るという事故があってから、万が一の場合のリスクがあるため現代ではできなくなりました。
一番驚いたのは出川哲郎さんの相方でもあるザリガニの鼻ばさみ。2024年、出川哲郎還暦祭のアメトーークでザリガニではなく、ザリガニに扮した堀内健さんが洗濯ばさみで鼻をはさむという、とんでもない展開になっていました。
条件付き特定外来生物になったことでこのような結果になったのでしょう。私はテレビ関係者ではないですが、もっといやとんでもない量の配慮しなければならないものがあるのでしょう。
しかし、有料配信であればその人が見たいからお金を払っている訳で、国民全員に配慮する必要はないです。そのため、コンプラをはみ出た演出が可能となる訳です。大脱出2のオチやカリギュラの内容などはテレビでは絶対に無理でしょう。
テレビバラエティの有料はこの利点を生かせますね。
個人的にお金を払ってまでみるバラエティではないものとは?
必要性を大まかに二つ挙げましたが、正直これ二つ無くても、面白かったら、OKです。逆を言えば、必要性の二つがない、満足いくほど面白いとは言えなかったら、お金を払ってまで見るバラエティではないということです。具体的にちょっと伏せつつ挙げます。
1超有名Pのお話バラエティのシリーズ3
この人はキス我慢というシリーズで映画化するなどありましたが、テレビのシリーズの延長線上では無い、軸の物語はありつつ、出演者がトークをして面白くなかったら脱落というものです。そもそものストーリーがそこそこ面白く、尚且つ出演者のトークも面白い、そしてテレビでは出来ない出演者など様々なものが合わさった凄いものとなっていました。
1,2はそこそこおもろかったのですが、3は正直、ストーリーもよくわからない、トークも1,2で消費したからかちょっと落ちている、テレビで起用出来ない出演者でもないため、個人的に規模感が大きいを必要性を感じなくなってしまいました。
トークの消費に感じては仕方ないでしょう、そこを隠すためにはストーリーを面白くする、出演者をテレビで起用できない目新しいものとする、するとそこに目を奪われて、規模間の大きさに疑問を持たず、楽しめたのではないかな?とも思います。映画みたいですね。
2有名作家が手掛けたバラエティ風のコント番組
これは正直、あのPが少し担当しているということの期待値を高く設定しすぎて、その後を素直にコント楽しめず、意外性もあまり感じることが出来ませんでした。もしかしたら、メイン芸人のファンだったら楽しめたかもしれませんが、最初があれでそこからの展開は一緒でテンポも変わらない、単調だったかな。。。。
必要性で挙げた二つの理由に、いずれも当てはまる演出もありましたが、純粋なお笑い好きを楽しませるような演出ではなかった。
であれば、最初からメイン芸人のバラエティコント番組として打ち出した方が良かったのでは?とも思いましたが、意外性を持たすためには仕方が無かった。
自分の中の境界線、この人ならお金を払うというもの
境界線を探ると藤井健太郎が手掛ける有料バラエティは今後も絶対に見るでしょう。それは水曜日のダウンタウンが面白いこともあるだろうし、今まで手掛けた有料バラエティが必要性の二つにも当てはまるし、尚且つ面白い。だからこそ、私の中の藤井健太郎×作家、バラエティの満足度が低かった。
アメトーーククラブのようなバラエティの延長線上はどうだろう、内容は地上波では数字が狙えないもの、(例メイドやエロなど)なので番組ファンやお笑い芸人個人のファンは見ますよね。
でも毎月払うほどの内容かは疑問符が付きます、ラジオに関してはポットキャストでもいいんじゃないの?とも思いますしね。
好きな出演者が出た回があれば、払うという形かな。
超有名Pの手掛けるバラエティはもういいかな?出し尽くしたというか、テレ東深夜のバラエティも最近は昔やった企画か芸人の本音を言うどちらか。このひとである必要性は感じないし、特徴ももう感じないから余程面白いという評判を目にしない限り、今後は見ないかも
他にもいろいろありますが、バラエティと言えばの三人を例に出しました。
結論 何が言いたいか
ここまでタラタラ書いて何が言いたいかというと、有料バラエティをするということは、己の才能が枯れているという点が見えてしまうということです。もしこの内容をファンだけに供給しておけばバレることなく、世間(お笑い好き)の評価も揺るぐことはないでしょう。
しかし、ファンではないお笑い好きもみてしまうのが有料バラエティ、ファン以外もこの人なら見てみようと思ってみたら面白くなかったものや、前作と比べ面白くないことがバレてしまうの恐れがあります。映画と同じです。
つまり、有料バラエティはお金を払うという動機があるために、映画と同じように自ずとハードルが上がり、面白くなかったら絶対的評価を持つPや作家でも、懐疑的な見方=才能枯れの疑いになってしまうということです。
今後は番組が好きの延長線上での企画か、出演者が好きな人が出ているという点で作成するか、単純に面白いバラエティが出来ましたよという映画と同じ形で勝負するかのどちらか。
前者だとそもそも担当バラエティが面白い必要があるし、後者なら面白いバラエティ、実績が必要となる。前者のデメリットは無いですが、後者は書いた通り、才能枯れがバレてしまう。
後者を選択すると、松本人志の映画になるのか、北野武の映画になるのかはたまた君塚良一の映画と判断するのか、受け手は分別する。面白ければバラエティ史に名をのこし、評価がより高まる。面白くなくても、収入は見込めるからか作成者の周りではいい声が聴けますが、世間(お笑い好き)では、、、、となる。
テレビのコンプラを無視してもいいような環境になるのがベストですけどね。