遅いですがピローマン感想
【閲覧注意·残虐表現あり】ピローマンですが、ネットを見ても賞賛意見ばかりでどうなのかなーと思っていて、私なりの正直な感想を述べます。
私には持病があって、障害者であるミハエルが殺人犯であることへの反発がやはりありますね。
幼女連続殺人について、宮崎勤事件をご存じですか?1988~89年頃なので若い方はご存じないかもしれませんが、関東で4人の幼女の連続殺人をし、そのうち一人の幼女の遺体を焼いて遺骨を彼女の自宅に置き、マスコミに犯行声明文を送ったりして、当時の日本を震撼させました。
さらに宮崎は漫画やアニメが好きで、新聞にコミケに出たときのサークルカットが載り、全国的に「オタク(は人を殺す)」という概念ができて、オタクは冬の時代を迎えました。90年代はアニメが好きと人前で言えませんでした。
宮崎事件のことはマクドナーは知らないはずですが、マクドナーにそうしたセンシティブな題材を好む作家性があるのでしょうね。
小川絵梨子さんは宮崎事件をどう思われているのか知りたいと思いました。トリガーアラートだけでよかったのかどうか、この作品の扱いについてもう少し考えてもいいのではないかと思います。
娘の遺骨を届けられたお母さんのことを思うと、幼児殺しも虐待もかなり重い題材です。カトゥリアンの作品で檻に入れられた男は、幼児殺しではないかと思います。
作家としてカトゥリアンが物語を語るシーンは成河さんのお声が心地よくてとても好きです。刑事二人の取り調べで煽られて声を荒げたり緩急の付け方がお見事。拷問の後ミハエルと会話をするところは癒やしですね。ミハエルの純粋さと狂気がまぜこぜの怖さ。
初っぱなの取調室からジェットコースターのようにお芝居に引き込まれたのは、挟み舞台で臨場感に溢れ、自分がその場にいるような気にさせられたからかもしれません。
アリエルが3人目の聾唖の女の子と、手話で巧みに会話していたのがとてもよかったです。もしかしたらアリエルのお子さんは聾唖者なのかもしれないと思いました。
「自分がされたことを自分の悪事の正当化に利用するな」はアリエルの警察官たる強い矜持ですね。しかしアリエルというとどうしても赤い髪の女の子が浮かんできてしまいます。おっさんのアリエル…
刑事2人が二幕でガラッと印象が変わったり、悪い養父母の大滝さんと那須さんがちょっとコミカルだったり、殺人、虐待、こんなに毒とユーモアと愛に溢れた戯曲を他に知りません。
舞台装置もよくできていて、席によって見えるものが違い、どちらの側からも見てみたくなります。撃たれて倒れるカトゥリアンの頭から出る血糊は、床に小さな穴が開いていて、毎回ジャストな位置に倒れる成河さんをプロデューサーさんが褒めていたそうです。
ピローマンのお話は優しいところもあるのですが、私は「人の寿命というものは神様の仕事で、どんな悲惨な生き方であれ自分で選び取るものだ」と思うので、ピローマンの仕事は間違っているし彼が死ぬとき悲惨な死を遂げる人たちの声を聴いたのも納得します。この戯曲がピローマンというタイトルなのは、マクドナーの皮肉な引っかけじゃないかなと思います。カトゥリアンが罪のすべてを背負って、ミハイルに、彼の好きな「緑の子豚」の話をしてから枕を押し当てて殺すのは、カトゥリアンにとってある種救いではないかと思わせて、「ピローマンは神様のお仕事に反してるから、ダメだって言ったじゃーん」だったら辛いです。
カトゥリアンは物語を書くことで救われたかったように思います。「俺の物語は誰にも殺させない」かっこいいセリフです。最後にカトゥリアンが考えたお話、ミハイルがピローマンに「俺は弟が書く物語が大好きになると思うからこのままでいい」に成河さんが微笑まれたのは、ピローマンの笑みだったのか、カトゥリアンの笑みだったのか。泣けましたね。ラストのセリフ「なんとなく…なんとなく」と2回言ったのも味わい深かったです。ラストはカトゥリアンの著作が残され、希望のある終わり方のようですが、マクドナーなのでここは絶対引っかけがありますよね。国で革命が起きるとか。でも作品通りに信じたいですね。
初回観劇時、成河さんが演じられたエリザベート皇后暗殺犯のルイジ・ルキーニのことを考えました。獄中でフランス語を学び回想録を書いていたのが、看守にそれを取り上げられて自殺したと聞いています。回想録が日本で翻訳されて、地獄でルキーニも少しは報われたでしょうか。
マクドナーの映画にカトゥリアンの小説が映るシーンあるそうで、カトゥリアンの本が出版がされたならカトゥリアンにとって救いです。それを芝居でなく映画でやるところ、マクドナーらしいのでしょうね。
大変手の込んだお芝居をありがとうございました。1回のはずが3回観てしまいました。
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