教習所で憎しみを育んだ話
ひきこもりの分際で生意気にも普通自動車の運転免許を持っている。
取得したのは23歳ごろだっただろうか。
ド田舎在住なので、親に「頼むから運転免許だけは持っておいてくれ」と頼まれたのだ。放任で、基本的に何も要求してこない親にそこまで言われて抗うすべはない。生殺与奪を常に握られているのだから。
そういうわけで教習所に通うことになったが、見事に大人社会のジャブを受けることになった。あの憤りは今でも新鮮に思い出せる。
(ちなみに、当時はちゃんと風呂に入っていた)
未明にTwitchでHIKAKINの雑談を見ていたところ、彼が私とまったく同じ教習所体験をしていて驚いた。
話を要約するとこうだ。HIKAKINが教習所に通い始めたころ、若い男性教官に露骨な嫌味を言われまくり、その教官に強い苦手意識を抱いていた。ある日、同じ教習所に通う女子同級生と雑談をする中で、好きな教官・苦手な教官に話題が及んだ。
HIKAKINが件の教官の名前を挙げ「あの人はちょっと⋯⋯」と話すと、女子同級生は驚き、その教官は自分にはとても親切で、いちばん好きだと語った。
男と女で態度変えてやがるなあの野郎、というオチだ。
私の経験もそのまんま、この話の通りだ。若い男性教官に教習中、終始不機嫌そうに「あのさぁ、ふざけてる?」と抽象的な嫌味を言われ、最終的に路肩に停車させられ、こちらを試すように責められ続けた。
「全然真面目にやってないよなぁ。話聞いてないもんな」と延々責めてきたが、具体的に何がどう悪いという指摘は一切なく、要するに「お前が気に入らねぇ、俺をナメんなよ」ということだと理解した。
話を聞いていないという事実はない。私は至って真面目だったし、その日はミスらしいミスはしていなかったと認識している。むろん、他の教官にはこんなふうにどやされたことはない。
しかし、下手に反論して悪い成績をつけられてたらかなわない。「はぁ、まぁ、そっすかね⋯⋯すみません」と心にもない謝罪を繰り返す他なかった。
一通りの嫌味を終えたあと、即興で何か操作の指示を出したが、私が成功したためにちょっと面白くなさそうだったのを覚えている。
教習後、教官は私にアンケート用紙を渡さず、さっさと教習所の建物の中に帰って行ってしまった。つまりアンケートに書かれたらマズイことをやっている自覚はあったわけだ。
それからしばらく、怒りの処理に手こずった。追いかけて「アンケートください」と言ってボロカスに書いてやればよかったとか、教習中「これ録音してますけど、大丈夫ですか?」とハッタリかましてやればよかったとか、あとになって『たられば』ばかりが頭をよぎり、教習所に行くのが少しこわくなった。
1週間ほど経ったころ、合同教習があった。合同の場合は他の教習生と同乗し、交代で運転しながら教習を受ける。
その日私と乗り合わせるのはギャルギャルした女子高校生2人だった。彼女らは友達どうしのようだった。
そして教官は例の嫌味バカサッカー(他の教官との雑談でサッカー経験者であることを語っていたから)だった。
こいつぁとんでもねえ地獄教習になるんじゃないか!?という期待と不安に見舞われたが、それはすぐに覆されることになる。
女子高校生の運転中、サッカーは輝く笑顔を見せ、楽しげに雑談で盛り上がるのだ。彼女らにも「〇〇ちゃん」とあだ名で呼ばれ、傾蓋の知己とはこのことかと思った。
私が運転する番になってもサッカーが何か皮肉をぶつけてくることはなく、まるで「初対面の普通の教官」のように親切だった。窓を開けて「この野郎マジでしょうもねぇ〜〜!!くたばれ〜〜!!免許取ったらまずコイツを轢く!!」と叫び出したい気分だった。
そして教習後は当たり前のようにアンケート用紙を渡してきた。
問題なかった回のアンケートを悪く書くわけにもいかず、悶々とした。何を書いたのか、そもそも提出したのか、記憶にない。
オチはない。「HIKAKINと同じ経験がある」というだけの話でした。