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適正な消防団員数を 誰も知らない #002.2

前稿では、団員数の増加は芳しいことであるが、定員数に囚われすぎてはいけない点と、国が推奨している機能別団員制度におけるメリットやデメリットについて考察してきた。
あまり冗長な編になってもいけない、面白くないので、そろそろ本件をまとめて別の課題についても考え始めたい。

この記事では編の括りとして、機能別団員制度に批判的な立場から、問題点を再確認したのち、筆者が例外的に訴求したい機能別団員制度の一例を記したい。


機能別団員制度に対する批判

批判的な立場から、最も端的に機能別団員制度を表現すると、
単純に団員数のみを充足させているに過ぎず、本質的な解決(団員不足)に繋がらない、
に尽きると考えている。
本制度は、既存の消防団員の不足を補うための「つなぎ」的な側面が、どうしても強い。
専門性の観点からはどうであろうか。特殊技能を持っている団員、習得する団員が増える一方で、総合的な活動能力を持つ団員が減少する可能性が高い。既存の定員枠とは別に本制度用の定員枠を、条例で設置しない限り、既存団員の割合は確実に減少する。
極端な場合、機能別団員だらけな消防団が誕生することになる。個々が高い専門性を誇るスペシャリティあふれる団体と言えるが、総合力や汎用性に乏しい組織とも言わざるを得ない。雨のようにタスクが降り注ぐ災害現場で、個々に人材をあてがう状況や、個々が互いにタスクを押し付けあうような場面は、微塵も理想的でない。
そして、最も大切な点を記しておく。

消防団は、地域住民が主体的に参加し、地域を維持・守ることを目的とした組織である。

団員に求められる技能や応じるレベルが高いことに越したことはない。ただ、それは付随的な問題である。
最重要視しなければならないことは、住民が主体的であるか、どうか である。機能別団員制度は、消防団の新たな取り組みとして注目され、瞬間的な増員には貢献するはずである。一方でその効果を最大化させて、社会に応報するには、制度設計や運用に慎重が、やはり不可欠であろう。

実際どんな機能別団員がどれくらい存在しているか

残念ながら筆者の調査能力では明確にならなかった。
推測を交えた言い訳をさせてもらうと…
各消防団の規模や活動内容が異なり、かつ、機能別団員制度への積極性も全く異なっているため、機能別団員の数も大きく変動しているはずで、全国的・定期的で統一的な調査が行われていないから、実数を国としても把握しにくいのではないかと考えた。
もし、あなたの所属する消防団に、どれだけの機能別団員が存在しているかは、申し訳ないが該当市町村の消防本部か、消防局内の消防団担当部署へ直接お問い合わせいただく必要がある。
ごめんさない。

それでも こんな技能は機能別団員に頼ってみては?

医療・救護
医療に関する知識や技術を持つ団員、医療現場での実績を有した団員で構成し、災害現場での応急処置や搬送を担当してもらう。
本来は国家資格である。人命に直結する処置を、部分的に担当する緊急性や必要性は認めざるを得ないが、高い経験や知見を求めたい分野である。

情報・通信・IT分野
通信設備の運用や情報収集・伝達を担当してもらう。
令和を迎えた現代でも、郵便とファックスに頼り切っていないだろうか。それらの重要性を否定はしないが、より高速で即時性の高い通信環境の整備と運用によって、円滑な消防団組織の運営を補助する必要はないだろうか。
送信されたファックスの文面には読み取りが困難な文字で記入されているものの、何とか判読し、送信者に内容の正誤を電話確認し、団員の氏名をエクセルにタイピングした。
フィクションではない。筆者が消防団員であった頃に経験した、実話である。
たった10文字の入力作業に10分以上を費やしていないだろうか。
SaaSやクラウドの導入を検討・実行し、各種の申請や報告、会議資料の共有、連絡やその応答など、一時的または断続的に専門員の力を仰ぐべき分野かもしれない。

これらの他にも、広報能力、手話・点字の技術、心理的応急技能、データ分析などが、可及的・応急的に求められる分野であると推測されよう。
そして、最後に、これだけは「逆にお願いしたい」分野を記述しておく。


外国人機能別団員制度の推奨

外国人機能別団員制度は、既存組織の多様性を高め、地域社会の活性化に貢献するに限らず、増加の一途をたどる訪日外国人への対応も含めた画策である。この制度を推奨する立場から、その可能性について詳しく説明する。

外国人機能別団員制度のメリット

多文化共生の推進
急増する、または、今後急増が見通される外国人住民との交流を深め、地域社会における共生を促進しなければならない時代に、日本は突入してしまったように見える。共生の促進は消防団だけが担う役割ではないが、行政と外国人の接点が培われるに、災害が起きてからでは遅すぎる。災害は未然に防止・抑制されるべきであるが、防止・抑制に先立つべきは、接点の構築や、共生感であろう。

言語能力
日本語が堪能な外国人住民は、災害時における多言語対応や、外国人を対象とした防災啓発活動に貢献が見込まれる。特に、外国人観光客の増加に伴い、観光地周辺の消防団では、発災時の外国人観光客への対応が求められている。適切な誘導やサポートを実現するには、外国人住民の言語能力に頼らざるを得ない。
また、日常的な外国人住民向けの防災情報発信力にも期待したい。邦人でも理解に苦しむような災害関連用語を、外国人住民へ適切に伝える自信は、少なくとも筆者にはない。語学が堪能な日本人でも問題ないかもしれないが、文化・宗教・思想に基づく行動を頑迷に貫く外国人住民も存在する。彼らに理解と行動の変容を伝達するためには、民俗的に近しい人物に依願するのが合理的ではないだろうか。

地域社会への貢献
出生国が違えど、国籍が違えど、社会を構成する一員であるのは、日本人・外国人 共に同じである。互いに共同体の一部である。
互いに社会を駆動させていくメンバーであるなら、互いに地域社会への貢献も共有するべきである。「貢献しなければならない」の指摘ではない。貢献できる場として、外国人として消防団に加入する手段を提供したいのである。

外国人機能別団員制度の可能性

言語の壁
日本語が堪能な外国人住民であっても、専門用語や消防用語の理解には時間がかかる場合が想定される。

文化の違い
異なる文化背景を持つ人々が協働するためには、相互理解を深めるための取り組みや時間を必要とするであろう。

法的な制限
前述の言語と文化のギャップについては、忍耐と時間、交流機会と相互理解が解決するものと望んでいる。最も懸念されるのは、法の取り扱いである。
外国人消防団員の活動範囲には、法的な制限がある。というより、消防団員であること自体が、法に抵触する可能性がある。

外国人公務員は基本的にはNG

消防団員は、非常勤の特別地方公務員であり、火災発生時に消火活動を行うなど、公権力を行使しなければならない。しかし、現行法では、一般的に外国人は公務員になることが制限されているため、日本人が入団するような手続きのみでは、基本的に法が許容してくれない。
国の主権は国民に属するという原則がある。公権力は、国民の代表である政府や地方自治体によって行使されるべきであり、外国人に委任・委譲することは、この原則に反する可能性がある。
さらに、国家の安全保障の観点からも説明を補足すると、公権力を行使する立場にある者は、国の安全保障に関わる機密情報に触れる機会が基本的には増加する。消防団員として貢献したい外国人を性善説的に信頼したが、情報が漏洩するリスクを避けるため、制限が設置されていると推察している。

日本の労働力が減衰し、ある意味で日本の産業や、国家の経済運営をサポートしてくださる外国人住民に対して、礼節を欠くようにも感じる法の思想であるが、理解できなくもない。民主主義が最も優秀なイデオロギーであるかどうかは知らないが、法の支配は国家運営の根幹でもあろう。
そこで、法の制限を超えつつ、外国人住民に消防団活動に参加していただくためには、機能別団員制度を活用したいと考えるのである。

原則

消防団の活動は多岐にわたり、全てが公権力の行使を伴うものではない。通訳支援や避難誘導など、公権力の行使を伴わない機能別活動であれば、外国人住民でも入団は可能であり、実例も存在している。
ただし、市町村への相談は必須。
各市町村によって、外国人機能別団員に期待される役割や活動範囲は異なるはずである。事前に市町村側との詳細調整は重要である。入団に必要な書類や手続きについても、同様。
総務省や消防庁への届け出や認可は、原則として必要ない。 消防団は地方自治体の条例に基づいて組織されており、その運営は基本的に市町村の権限となる。
留意点したいのは、公権力の行使を伴う活動は、原則として制限される点である。例えば消火活動は公権力行使の範疇となるなど、あらかじめチェックしておきたい。また、これも市町村の制度に準拠するが、活動中に事故が発生した場合、加入している保険で対応できる場合も認められよう。
消防に限った点ではないが、在留資格・ビザによっては、消防団活動が制限されることも予測される。

まとめ

そもそも、消防団員の増減について記述を始めたものの、最終的には外国人住民との共生に帰結してしまった。これは、間違いなく筆者の筆力が乏しいから、構成力というものを習得できていないからである。
乱文をここまでご高覧くださっているのに、申し訳ないです。

ただし、消防団員の増減を考えるとき、筆者の念頭にあるのは、
社会に消防団がどう溶け込んでいるか
どれだけ普通な存在でいられるか
共同体でいられるか である。
特別な存在でもなければ、高度な消火技術を有している必要もない。ヒーローである義務も、場面も必要ない。ごくごく普通の住民が、ごくごく普通に活動する。特別感や優越感はむしろ邪魔で、私たちの思考の妨げである。
住民とどう暮らすか。住民としてどう暮らすか。
ただそれだけ。
住民と、または住民として、どう安全な明日を迎えるか、少し余計に力を添える。
ただ、それだけ なのである。



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