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You will be quiet #5


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 右手をグッ、と上げてみて、それから少し傾けて日の光を当てて見ると  赤い痕の色が、さらに赤く見える。
 けっこうグロい、っちゃグロいけど  見ようによっては綺麗にも、なんならちょっとかわいくさえも見える。
 ……私は最近、この右手首にできた赤い痕のことばかりを、考えてる。
 そして、何よりもその、原因について。
 ……原因について、なんて、なーんかいつもの私のノリじゃないみたいだね。ちょっと言い方変えよっかな。
 でもまあ、ようするにそういうことなんだよね。なんでこんなものが、突然私の体にできたのか、ってこと。
 もちろん、この痕ができたその日に  私はお母さんに相談して(お父さんは現在名古屋に出張中)、すぐに小杉のヒフ科の病院に行って診てもらった。おじいちゃんのそのヒフ科の先生は、そのフワフワしたあったかい手で私の手首の痕を触ったあと、なんだろーねーこれは、とかって他人ごとライクに言っていた。虫刺されだとか、最近流行りの帯状疱疹だとか水ぼうそうだとか、なんなら性病だとか  いろんなこと言われたけど、そのどれもが違った。血液検査も異常ナシ。発熱もないし、出来はじめは少しかゆかったけど、それもいまではないし、痛みもない。全身健康そのもの。
 結局  かゆみを感じたとき患部に塗る軟膏だけもらって、帰ってきた。
 お母さんも、それだったらしばらく様子をみるしかないわねえ、って言ってる。
 もう一度、右手首のその痕を、日の光に当ててみる。ジーッと眺め続けてると、それは模様のようでもあり、何かの文字のようにも、図形のようにさえも見えてくる。
 最近、お風呂に入ってるときとかさ、とりとめなくただ部屋でボーッとしてるときとかに、こうやってこの痕を眺めてることが、ほんと多くなった。
 そうしてると、だんだんとなんだか不思議な、説明のつかないような、そんな妙な気分になってくるのだ。
 で、自然と私は、次のようなことを、考えるようになっていた。

 ……これは、果たして肉体的な原因で、できたものなんだろうか。
 もしかしたら、違うんじゃないだろうか?

 ……っていうのはさ。一応、小杉のヒフ科の先生には診てもらって、これは何らかの病気によるものじゃない、っていうお墨つきを得ているわけじゃん。
 だったら、それ以外の原因を、そのかわりに考えちゃいけない、ということにはきっとならないはずなのだ。
 違うかな。
 ……そこまで考えてみると、自然とまた、もう一つのギモンが降って湧いたように出てくる。

 ……もしもそうなら、それ以外の原因、っていうのは、いったいなんなんだろうか?
  
 もちろん、こんなことはただのカンにすぎないよ。すぎないけど、ついどうしても、そう考えてしまうのだ。
 私はベッドの上から体を起こして、レースのカーテンを開け、窓の外を見た。とてもよく晴れていて  散歩でもしたら、超気持ち良さそうな、そんなお天気だ。
 お医者さんにはもう頼れない以上、私は自分の立てたこの仮説に基づいて、手首にできた痕の原因を、自分なりに探してみたらどうだろうか、って思ってた。
 ……そうでなきゃ、これから一生、手首にこんなヘンな痕をつけたまま、生きてかなきゃならないハメになるワケで。
 でも、とはいうものの  いったいどこからどう手をつけていけばいいのか  もうまるでわからない、そんな感じでいたのだ。

 休み明けの月曜日って、みんなゆううつだ、って言う。
 なんなら日曜日の夕方あたりからそのゆううつは始まって、もう学校なんて行きたくないなー、なんて気分になるのらしい。
 確か、こないだ読んだ村上春樹の小説にも、そんなことが書いてあったな。「僕は日曜日の夕方的状況というものを好まないのだ」って。
 まあ、私もご多分にもれず、そうっちゃそうなんだけど、ただ自分のバアイ、少し毛色が違う。
 というのも私のバアイ  彼のことを考えれば考えるほど、ゆううつになってしかたないのだった。

 ……そう、つまり、それは有野重和くんのことだ。

 先日、学校の校舎の屋上に彼に呼び出され、ああいうふうなことを言われていらい  私は毎朝乗る東横線の乗車位置を変えるようになっていた。
 ……え、なんでかって?
 だって彼は、等々力駅から私のいる車両に乗ってくると  自分のすることを逐一監視するようになっていたからだ。
 でまあ、仕方ないから、違う車両に移ったわけだけど、しばらくそうしてると、今度はその車両にド真面目な、陰気な顔して乗ってくる。
 これじゃあ結局、イタチごっこになってしまうから、あとはもう乗る電車自体を変えるしかないんだけど、正直なところ、なんかもう超メンドくさくって。
 でもまあ、あのとき、「だったらやめさせてみろ」なんて逆ギレして言い返してしまった、この自分も悪いんだけどね。マジで超反省してます。
 このことってでもさ、ぶっちゃけ舞にも相談できないから、余計に困るんだよね。だって、そもそも電車の中でそんなことしてるアンタが悪いんじゃん? なんて、ゼッタイ返されるに決まってるしさ。
 ……ホント、マジで誰にも相談できない。
 今日の朝は、一見有野くんの姿は見えないので、私はちょっとホッとしつつ、いつものように満員電車に乗り込むと、つり革握って窓の外を見てた。
 十二月に入って、もう今年も終わりかあ、なんて思うことは思うけど、いっぽうで何も終わってなどいず、むしろ何かが始まってしまった、っていう、そんな気持ちの方が正直強い。
 ……でも、いったい何が始まってしまった、というのだろうか。
 有野くんの姿が見えないので、また私は例によって、いつもの物色を始めていた。都合のいいことに、今日の私の周囲は男の人ばっかりだ。
 みんなスマホを見たり、目をつむってただつり革を握ってたり、折りたたんだ新聞を読んだりしてる。
 その中からなんとなく、一人の四十代くらいの、ちょっとおしゃれな全身黒づくめの、デザイナー風の男の人に私は目をつけた。
 それで少しずつ、手を伸ばしかけた、まさにそのときだった。
 最初は気のせいかな、って思ってノンビリしてたんだけど  そのうちだんだん、気のせいどころの騒ぎじゃないぞ、って気づき始めていた。
 
 ……どうやらさっきから、誰かが私のカラダを触っているのだ。

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