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スピリチュアル覚醒講座④「ぜんぶ愛ということ」 と 「一回死んでみる瞑想」

今まで自分の感じた感情ばかり書いていたのでごちゃ混ぜになっていたが、実は講座には2種類ある。
転生コースと超覚醒コースだ。
お湯さんの許可が出たのでちょこっと紹介すると、転生コースは今生で転生するかのように変化できるコースで、超覚醒コースは覚えたことをビシネスにしてやっていこうぜというコースだ。雑に言うと。
転生コースは超覚醒コースの半分くらいのコースとなっている。ちなみに今までの文章でお分かりかと思うけど、私は超覚醒コース。どうせならがっつりやりたいな〜と思ったのと、無職で自分のこれからをどうしようかな、と思っていたので、いつかビジネスにできるならいいなと。

というわけで、今回は両方のコースの人が受けられる講座、パラシフ講座だ。
いつも通り、ゆるっと始まる。お湯さん、風邪ちょっと良くなったかな、よかった。などと思っていたが何か違和感が。
いつものレコーディングしますがokですか?というポップが出ない。
ちょっと待ってみたけど出ない。
・・・・お湯さん、忘れてる?いやでも気のせいかもしれないし無意識に押したのかもしれないし今回レコーディングしないかもしれないし。
いやでもアーカイブとかあるよな?!もし万一忘れてたらえらいこっちゃよな?!
勇気を出して、チャットで聞いてみた。レコーディングって、してますか?と。
サポート講師の方がチャットに気づいてくださり、お湯さんにレコーディングのことを聞いてくださった。お湯さん、「あっ!」
忘れてたようだ。言ってよかった。
なんか方々から感謝され誉められて恐縮してしまった。
やめて褒めないで!!調子に乗るから!!このあとの講座、ずっとふわふわした気持ちになっちゃうから!!
昔から褒められると脱兎の如く逃げ出したくなるタイプなのだ。
案の定、しばらく落ち着かない時間を過ごした。褒められても公爵令嬢のようにサラッと受け止められる自分になりたい。なんでもないことですのよ、みたいな感じで・・・それもちょっと違うか・・・。

ともあれ、今回は心理学から「愛について」の内容だった。
なんせ宇宙は愛が根源というか真理というかなので、愛、とっても大事なんだなぁ・・・みんなそう言ってるもんな。
ただ、愛は広義だ。いろんな愛がある。
今回これまたざっくり言うと、肯定的な愛(わかりやすい、これは愛だな!ということがすぐわかるような愛)と、否定的な愛(殴るとか怒り顔とか)があるんだよ、ということだった。
あとは無視。これは本当に今までたくさんのところで聞いていたのであ、あれだ!と思った。いわゆる、愛の反対は無視です、というやつ。
この部分は聞いていて、何となく理解できた。まわりから何も反応がない人生なんて生きているっていえないもんな。
んで、2〜3人に分かれてディスカッションを行う。自分がいる場所で、肯定と否定の割合について。
すごく聡明そうな2人の女性とお話しする。
この時、まず冒頭のレコーディングについて褒められ、お礼まで言われて恐縮したが、別の部分で感動した。
これは、共同体感覚、なのでは?!
今回のことでレコーディングができていなかった場合、一番困ったのは多分お湯さんだ。ご自身でも、以前できていなかった時全部一人で撮り直したと言っていた。でも、言っちゃえば今日出席している受講生にはあまり被害はない。
なのにお礼まで言っていただいた。これはつまり、すごく味方意識というか仲間意識があるなぁと感じたのだ、自分も含めて。
もしくは私がお話しした二人がすごく共感性が高く性格が優しく、誇り高いということかもしれない。どっちも少しづつありそう。
お湯さんの人徳もあるよなぁと思う。
まとめると、講座生はこうやって少しづつ、マインドが整えられていくのかなと思った。いいの、気のせいならそれでも。

そのあとは一回死んでみる瞑想をお湯さんの誘導で行った。
これは自分がどういうふうに死ぬかとかではなく、死んだと仮定して、魂の行方を想像していく瞑想だった。
体を抜けて根源の光に戻り、また地球に戻ってくる。このとき、何を感じますか?とお湯さんの優しい声が聞こえたとき、私が思ったのは自分でも予想外なことだった。

また、植物に触れる、動物に会える、木に会える、空が見られる、風に触れられるということ。

人間じゃないんだ?!と思った。

そのあと、どう感じましたか〜?というアウトプットの時間で、あまりに人と違う感覚にとても手があげられなかった。
わたしが独身ということもある。でも親は生きてる。きょうだいも友もいる。
他の講座生の方々は、家族にまた会えると思うと嬉しい、という人がたくさんいてね・・・とても言い出せる雰囲気じゃなかったのよ・・・。
こういう人もいるという例でそれはそれでよかったかもしれないけども。

思い出したことがある。わたしは昔、向いていない営業事務で仕事中の夕暮れ時、疲れた頭で窓の外を見上げたとき、空のあまりの美しさに、ああ、私はこういうのを見に生まれてきたんだろうなぁとおもったのだった。
そして先日のお湯さんとのセッションで一番テンションが上がったのが、いずれ植物や動物と意思疎通できるようになる講座があるよと言ってくださった時だった。お湯さんが若干ひいていたくらい声が高くなってた。
そういうことか〜〜〜〜という感じだ。自分のことって人との対話から浮き彫りになるのね。

その後、お湯さんへの質問時間となる。
このとき私は、先ほどの否定的な愛について気になっていたことを聞いてみた。暴力を受けたりした時のことを思うとあれも愛?ほんとに?と思ってしまいます、と。
お湯さんの答えは、元々の愛があり、それが元になって、「こんなに愛してるのになんでいうことを聞いてくれないの」だったり、愛してるから、自分がこうして欲しいという想いと違うことをされると憎しみに変わる、などなど。
そうか!納得〜〜〜と思った。
いや、やられた方にしてみればたまったもんじゃないんだけど、そう考えると確かに愛が元になっている。
あまりの納得感に質問に答えてくださったお礼を言うのをすこんと忘れてしまった。あの時はありがとうございました。(ここで言う)






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