【龍が如く8】そりゃ俺だって報われてほしいよ【感想】
いやまあサムネイルには他意しかないです。すみません。
朝倉さんが報われるかどうかはどっちでもいいです。KOラッシュとパウンドにはお世話になったので報われてほしいかも。
やっぱりどっちでもいいや。
好き勝手書く前に
ここでは龍が如く8のストーリーとかゲームシステムについて書くつもりは一切ない。桐生ちゃんについて書きたい。その他は些末な問題や。
ストーリーが破綻しているとか(なんだと?)何にも解決していないとか(ブルセラをやめろ)敵キャラの掘り下げが雑とか(うるせぇ)関係ないんよ。
少しだけ本編について言えばさっちゃんは可愛いし、趙さんはイケメンやしソンヒはエロい。澤さんのドリブルはどうでもよくてソンヒがエロい。
章立てとか適当書きなぐる感じで
桐生一馬をちゃんと終わらせてくれた
龍が如く8における桐生一馬の物語についての賛否はさておき龍が如く6については圧倒的に否定的な意見が多いと思う。筆者も否定的。
なまじ7で普通に再登場してたしね。IQが80くらい上がってIQ100くらいのムーヴかましてたし。元のIQとかええねん。拳IQ10,000やから桐生ちゃん。
ちょっと話逸れるけどあそこで桐生ちゃんを異次元レベルで強く描いてたのは嬉しかった。俺たちの桐生ちゃんはすげえぜ。
で、だから今作でその判断に是非はあれど桐生一馬が能動的に考えて、行動して、成長して、変わって、選び取った結末というだけで筆者は満足している。
じゃあその結末はどうなのか
これについてはいろんな方の動画や文章を拝見して拝読した。どのお方の想いも心に響くものがあったし、賛否どっちの意見も理解しかない。
特に響いたのが桐生ちゃんがどんだけ他人のために行動して、失ってきたか。その桐生ちゃんはもっと報われるべきって意見。うん。めっちゃわかる。そうやんな。
龍が如くの功罪
功罪って響きがいいから書いたけど罪の話になる。既知のところやろうけど龍が如くシリーズの主人公たちに極道はいない。基本的に。破門されてたり盃返してたり一応はカタギって体裁でやってる。そんで人を殺したり裏で糸を引いたりしてるやつらは決して報われてない。これも龍が如くシリーズのルール的なところやと思う。反省したり改心したりしても関係ない。良い極道も悪い極道もなく一様に極道は悪。
じゃあ桐生一馬ってカタギなの?って話。そんなわけない。「ヤクザとカタギを反復横跳び」とか「ヤクザスタイルとカタギスタイルを使い分けてバトルを有利に!!」とかいじられてるけど、ほんまにそうやからね。
どうしようもないヤクザもんって自分で言ってるし、東城会の代紋の重さ教えられるしそんなカタギいない。
これは真島吾朗も冴島大河も同じ。主人公の時はヤクザじゃないかもやけど、誰もカタギやと思ってない。じゃあなに?ヤクザ?それも違う。”かっこいい極道”やろ。これが龍が如くシリーズの罪やと思う。歪みと言い換えてもいいかも。
どうしようもなく破綻してる
海老名が言ってた「俺の野望は最初から破綻してるんでね」って深読みやけど龍が如くシリーズのことでもあると思うんよ。ヤクザは悪っていう絶対的な前提条件があるのに主人公たちは”かっこいいヤクザ”。
俺たちのかっこいい桐生ちゃん、真島さん、そして冴島さん。報われてほしいけど絶対に報われてはいけない掟に縛られた主人公たち。この高次の縛りは渡世の親のそれより厳しい。
Vシネ的文脈とかまで広げるととっ散らかるから止めるけど要は前提から破綻してる。その歪みみたいなものの終着点が龍が如く6なんやと思う。
歪みを正すために
じゃあその歪みを正して桐生一馬を終わらせるためにどうすればいいのか?
死んでチャンチャンなんてのぁ認めねえ
まずは死んだことにしたのは間違いやと認めるしかない。8ではこれを徹底的にやってた。それがまず凄い。自分たちで作った物語を間違っていたってプレイヤーに謝ってた。少なくとも俺はそう思う。
大吾は「死んだら伝説になってしまう」とこぼした。
真島さんと冴島さんを含めたあそこの語りはくるもんがあった。なんて惨めなんやと。でもこの人たちも絶対に報われない人たちなんや。だって極道だから。
そして一番は「死んでチャンチャンなんてのぁ認めねえ」「カッコよく死なせるわけにはいかねぇえんだよ」と叫んだ。
桐生ちゃんが全てを背負って死んでやると息巻いたこと自体大きな間違いだったと。
ヤクザもんの夢
桐生ちゃんは7外伝で獅子堂に「俺らヤクザもんのもってる夢なんてのは(中略)ゴミみたいなもんだからだ」と言い切った。
獅子堂は地獄から自分の力だけで這い上がり、圧倒的なカリスマと力で極道のトップにあと一歩まで迫ったキャラである。まさしく”かっこいい極道”。
でもことここに来て龍が如くはそれじゃ終われない。桐生ちゃんを終わらせるためには。だからごめん獅子堂。貴方には負けてもらわないといけない。”かっこいい極道”を代表して。
桐生ちゃん自身にそれを認めさせる必要があった。いくら桐生ちゃんが仁義に厚く、弱きを助け強気を挫いていても。”毎日を必死に生きている人たちに比べたら”ヤクザもんなんてゴミみたいなもんだと。
俺が謝るから
海老名は被害者だ。やっていることは極悪だし、間違ってるけど。それでも彼は被害者だ。極道の、そしてくだらない極道の掟の。桐生ちゃんはこれ以上海老名が狂っていくのを止めなきゃいけない。そして謝らないといけない。みっともなく涙を流しながら、頭を下げて。
だって桐生ちゃんは堂島の龍で伝説の極道だから。極道という存在の罪を背負い得る人やから。その全てを背負って、あの頃の強さは見る影もなく、白髪まみれで、這いつくばって。そこには”かっこいい極道”なんていないんだと。
そして極道たちは生きて続けないといけない。生きることでしか償えないから。
桐生一馬の報い
7外伝と8で桐生一馬の物語は終わった。間違いを認め。足掻いて生きることで。罪を償い続けることで。
ここで最初に立ち返る。”桐生一馬はもっと報われるべき”なのか?ずるい答え方をすると半分はそうで半分はそうでないと思う。
ここまで再三、桐生一馬=極道=悪であると書いてきた。じゃあ桐生一馬が生きてきた道は間違いだったのか?それだけは絶対に違う。命懸けで澤村遥を救ったことは?マキムラマコトを守ったことは?それは間違いじゃない。
結局どっちやねん?どっちでもない。”白でも黒でもない灰色の道”だ。
6ではその灰色の道を歩んできた桐生一馬という名を捨てることで全てを背負おうとした。それは間違いだった。
8では強さもかっこよさもかなぐり捨てた。肩で風を切るのではなく息をして、手は拳を作らず両膝に。孤高ではなく仲間とともに、みっともなく涙を流して謝った。
かつての伝説はもうない。灰色の道を歩んできた名前だけ。
それが報い。そしてこれ以上なく報われたのだと信じたい。
蛇足
結局棚上げのままの元ヤクザ達の社会復帰について。
東海テレビの『ヤクザと憲法』ってドキュメンタリーがあってその中でもちろん元暴5年条項についても触れられてた。
一人がぼそってこぼした「これな、わしら人権ないんとちゃう?」って言葉、今でも覚えてる。元極道の方たちの社会復帰は難しいなんてもんじゃない。
翻って作中の海老名の台詞。
「ヤクザとして散々他人を食い物にした挙句「やっぱり真面目に生きます」?そんなことは俺が絶対に許さない」
うん。わかってしまう。どうしても。論点のすり替えかもやけど虐めとかにも通ずるかも。
もう一歩踏み込んで怖い話をする。もし現実で元極道の方たちを集めて「放射性廃棄物処理」でも「紛争地域でのボランティア」でもなんでもいい。実際に発表されたとして、その内情まで我が事のように考えるか?
これは考えない。多分。そんな余裕はない。どうしたらええんや。
結論がつかなくなった。やっぱり蛇足や。