【龍が如く8】ゲームやっててちょっとパンツ見れるんでかいって
タイトルは9番街レトロもじり。
このネタほんま好き。
はじめに
龍が如く8のEX-HARDもクリアまで到達した。ということで資格試験やらラブフレンド集めやらやりこみ要素真っ最中なわけであるが、ジョブ衣装で街を歩けるようになった今やることは一つである。
パンツ確認である。
今まで一度もパンツを見ようとしたことがないやつだけが俺に石を投げろ。思ったより飛んでくるな。嘘やろ。
で、まあ結論から言おう。見えない。
がっかりだよ横山。風呂敷が畳めなかろうがキャラが記号的やろうがなんでもいいよ。ただ、パンツを暗黒空間でごまかすことだけはいただけない。パンツ一つ描写できない神がいてたまるか。
そんなにパンツ見たいか?龍が如くで
見たいね。いやちょっと違うな。正確に書けばスカートの中をごまかしているのを見たくない。
「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」スタイルでも2Bのレオタードでもいい。なんならカメラが見えそうな画角にはいけないようになっててもいい。見せてもらえそうで見せてもらえないというのもそれはそれでよき。いや、ごめん最後のは忘れて。
なんて言えばいいんやろ?ただあの暗黒空間を見るとなんか凄い萎える。さながら龍が如く4の冴島大河。
なんやあの暗黒空間。プレイヤーの視線を吸い込むブラックホールですってか。やかましいわ。
いっそM字開脚してあの暗黒空間に敵を引きずり込む即死技とかあればよかった。山田風太郎的な。ジョブにくノ一あるし。
パンツ見たいならエロゲしとけば?
お前らはなにもわかってない。エロゲはパンツのその先が見れる。あ、ごめんそうじゃなくて。エロゲの何たるかをわかってない。エロゲでエロがあるのは当然やろ。アクションできないアクションゲームなんてあるか?あったりもするから困るんやけど。
『沙耶の唄』とか『SWAN SONG』、『CROSS†CHANNEL』とか。挙げればキリがない名作たちはパンツ(とその先が)見れるから名作なんか?違うよな。
もちろんこれがそのままゲームにおけるパンツ描写とイコールにはならない。ロマンポルノと共通してエロという担保(制限)を得た中での創造の発露という話で全く別である。
ただこれが起点にはなると思う。
パンツでゲームの評価は変わるか?
変わるわけない。当たり前や。変わると思っているならそれはプレイヤーへの、そして何より日々血反吐を吐きながら素晴らしいゲームを作り続けておられるクリエイターの方々への侮辱や。
『バイオハザードRE:4』はアシュリーのパンツが見れないからクソゲーなのかと言われればそんなことはない。
冒頭で横山氏に怒りをぶつけたが俺にとって『龍が如く8』は300時間以上遊べるゲームやし、桐生さんをちゃんと終わらせてくれたし横山氏はじめクリエイターの方々には感謝しかない。
何が言いたいのかわからん
うん。ごめん。勢いで書き出してるからね。でもエロゲの話をしててなんとなく思ったことがある。ゲームって外連味にこそ価値があるんじゃない?ってこと。
外連味たっぷりって誉め言葉のように使われてるけど本来はそんなことなくて、外連味って”本道から外れた”「俗受け」やったり「はったり」やったりあんまり肯定的な言葉じゃない。
つまりパンツ=外連味理論。????
翻って外連味がないっていうのは物事本来の本道で勝負してることなんよ。だから『バイオハザードRE:4』はアシュリーのパンツという外連味に頼らずアクションで勝負して面白いってこと。
アシュリー自体が外連味そのものやろって突っ込みはその通りやから触れないでおく。アシュリー可愛い。パンツ見たい。
ゲームに外連味は必要か
やっと結論めいたものにたどり着いた。ゲームに外連味は必要やと思う。というよりゲームは外連味まみれといえる。
例を挙げるとエルデンリングだろう。死衾のフィアというNPCのパンツが作りこまれていることを変態プレイヤーが発見したのである。(騎馬戦の時間だ)
エルデンリングというゲームにおいてパンツは必要かと言われれば、全く必要じゃない。仮にフィアのスカート内部が暗黒空間だったとしてもGOTYをとっていただろう。それと同時にパンツを作りこまない体制であればGOTYはとれていなかったかもしれない。矛盾しているようであるがこう言いかえることができる。
パンツというゲームの正道に必要ない外連味にまでこだわるからGOTYをとったのだ。
エルデンリングというゲームの核たる要素を分解すると「アクション」「ダークファンタジー」「高難易度」であろう。「オープンフィールド」ですら付加要素であると思う。3要素だけを満たすのであれば膨大なボスやモブ、フレーバーも極論レガシーダンジョンすら必要ないのである。ストーリーテキストとボスさえあれば成立はする。
でもそれだけじゃゲームとしては味気ない。不必要な要素=外連味により肉付けされて世界観が構築されていくのである。だからこそエルデンリングは神ゲーなのであろう。
もしかするとフィアのパンツは全く違う理由で作りこまれたのかもしれない。もともはキーアイテムやったのか、はたまた異様にパンツを愛する紳士がいたのか。真相はわからない。
それでもプレイヤーはNPCのパンツまで作りこむ狂気に愛を感じずにはいられないのである。
龍が如くと外連味
龍が如くは外連味のゲームだ。大きいものだとポケサーやら水商売アイランドやらドンドコ島やら、小さいものだとUFOキャッチャーやバッティングセンターにゴルフなど。膨大なサブストーリーもあわさりいったいこれは何のゲームだという話である。
しかしそれこそが龍が如くシリーズなのである。この外連味がなければ龍が如くは龍が如く足り得ない。
毎度のように攫われる遥や大誤算(誤字ってますよ)を差し置いて自由行動だからとミニゲームに勤しんだプレイヤーは数知れないだろう。ラスボスも毎度のことながら何時間待たされるんだという話である。なかには何でそこにいるかわからないラスボスもいるというのに。
そしてその外連味がなければ今作のエンディングノートはあんなにも重厚なものにはならなかったであろう。桐生一馬という架空のキャラクターに厚みを持たせているのはストーリー本編だけではなく、龍が如くならではの外連味なのである。
だからこそ本作でパンツが作りこまれていないことが悲しい。決して下心からではない。断じて。ソンヒのパンツだけでも作ってほしかった。まじで。
トイレ作りこんでるゲームは神ゲー
古来より提唱されている理論である。結局はここにたどり着く。これは言うまでもなく”トイレを作りこんでいる”=”神ゲー”なのではない。
”トイレという不必要な要素にまでこだわって作りこんでいるゲーム”=”神ゲー”なのだ。
ここまでくればもう察しはつくと思うがパンツについても同じことが言える。”パンツという不必要な要素にまでこだわって作りこんでいるゲーム”=”神ゲー”である。
この理論を拡散していけば世のゲームにパンツが溢れるのも夢ではない。
やっぱりゲームやっててちょっとパンツ見れるんでかいって
最後に
お前1つの記事で何回パンツっていうねん。『龍が如く8』のまともな感想を書く日はくるのだろうか。