古代の地名が分割された令制国名
律令制度以前から使用されていた地名が令制国の名称に採用された例は少なくない。しかし、元の地名が複数の国に分割された事例は限られる。
たとえば、現在の岡山県と広島県東部に相当する地域は、律令以前には「吉備国」と呼ばれていた。この地域は687年に発布された飛鳥浄御原令によって、畿内に近い順に「備前」「備中」「備後」の三国に分割され、さらに備前の北部が「美作」として独立した。こうして「吉備」と呼ばれていた地域からは四つの令制国が誕生した。
同様に、現在の北陸地方と新潟県に相当する「越国(高志国)」も、「越前」「越中」「越後」の三国に分割され、そこからさらに「加賀」「能登」「出羽」などが独立して令制国となった。
本稿では、このように古代の地名が分割されて令制国名に引き継がれた13カ国と関連する5カ国を簡潔にまとめる。
上下に分けられた国
毛野(上野・下野)
毛野(けぬ)と呼ばれていた地域は、律令制以前から「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」に分裂していたとみられる。701年の大宝律令によって「上毛野国」「下毛野国」として令制国に定められ、後に「上野国」「下野国」という表記に改められた。この改称がいつ行われたのかは明確ではないが、713年の詔で「国名を二文字で表記する」ことが命じられた影響のする見方もある。一方、この詔以前の史料にも「上野国」との記述が確認されており、時期については議論がある。
上野国:群馬県に相当
下野国:栃木県に相当
総国(上総・安房・下総)
現在の千葉県全域と茨城県、東京都の一部を含む地域は、律令制以前には「総国(ふさのくに)」と呼ばれていた。「総国」が「上総」「下総」に分割された時期は不明だが、大化の改新以降と推測される。さらに、718年に「上総国」の南部が「安房国」として独立した。その後742年に上総国に統合されたが、757年には再び独立し、それ以降は「上総」「下総」「安房」の三国体制が続いた。
前後に分けられた国
吉備国(備前・美作・備中・備後)
吉備国(きびのくに)は、687年の飛鳥浄御原令に基づき「備前」「備中」「備後」の三国に分割された。さらに713年には、当時の備前守と備前介の提案によって、備前国の北部が「美作国」として分離した。
備前・備中・美作:現在の岡山県
備後:現在の広島県東部
越国(越前・越中・越後+能登・加賀・出羽)
越国(高志国)は、律令以前から「越前」「越中」「越後」に区別されていたとされるが、正式に令制国として定められたのは701年の大宝律令である。その後、718年に養老律令に基づき越前国から「能登国」が分離し、823年にはさらに「加賀国」が分離した。なお、加賀国は最後に成立した令制国として知られる。
越前:福井県
越中:富山県
越後:新潟県
能登・加賀:石川県
九州地方
肥国(肥前・肥後)
火国とも表記される肥国(ひのくに)は、「肥前」「肥後」に分割された正確な時期は不明であるが、696年の史料にその名称が記されており、7世紀後半には分割されていたとみられる。
肥前:佐賀県と長崎県の大部分
肥後:熊本県
筑紫国(筑前・筑後)
筑紫国(つくしのくに)は、7世紀末までには「筑前」「筑後」に分かれていたと推測される。
筑前:福岡県北西部
筑後:福岡県南西部
豊国(豊前・豊後)
豊国(とよのくに)は、文武天皇の時代(7世紀末)には「豊前」「豊後」に分割されたとされる。
豊前:福岡県東部、大分県北部
豊後:大分県南部
※日本史が少し好きなだけの素人によるまとめです。 正確な情報は、必ず専門書をご確認ください。